愛しのスープラとの日々や、つたない日常日記。


by sid80
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知っている人は知っている人物であり、知っている人は知っている雑誌「RACERS」から、待望の1985年・NSR特集パート2が発売されました。

子供の頃ビデオで観た、ロスマンズホンダ&フレディーの活躍は鮮明に覚えています。もちろんリアルタイムで知っていたわけではないのですが、WGP日本GP初開催や日本人ライダーの世界進出などと重なり、子供ながらにも情報として知り始めた時期でした。

鈴鹿8時間耐久も空前の盛り上がりをみせてましたしね。
当時はビデオを観ると言っても、WGP関連はレンタルビデオなどでしか見ることが出来ず(僕の周りではそうでした)しかも、今の様に日本語字幕などないものもあり(外国版そのもの)何を言っているか分からないけど、世界のGPを映像として観れるだけでも、胸が高まり、一生懸命食い入るように観てました。

そこで衝撃を受けたのが、フレディースペンサーその人です。しかも初めて観たのが、この1985年WGP。
むちゃくちゃカッコよかったんです。ロスマンズホンダとスペンサーが。クルマはトヨタ党ですが、この衝撃のイメージを受けてから、未だに2輪はホンダ一辺倒です。ヤマハは最大の敵(笑)

子供の頃の思い出と懐かしさから、この本を手に取らないわけにはいきません。過去も含め、ほんとに良い本を作ってくれます、RACERSは。

スペンサー魂に、また火が着いちゃいました・・・・。
僕にとっては83年の偉業より、85年のインパクトの方が強くてスペンサー最大の黄金期だと思います。
もっと続いて欲しかったけれども・・・・・。
ダブルエントリーの理由も分かりましたし、85年以降のスペンサー下降も、同時にこの年から始まってしまっていたんだなっというのもこの本を読むと気がつくと思います。

何事も、あっという間に駆け抜けていったライダーでありました。今となっては、その偉業は紙一重だったのかも知れないけれど、今でも強烈に光り輝いています。
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86年チャンピオンナンバーで迎えた開幕戦からいきなりケガの後遺症が表面化します。以降欠場し(欠場自体は珍しくなかったけれど)名前だけが一人歩きします。ガードナーが健闘を見せますが、ヤマハ勢にこてんぱにやられます。
チャンピオンのローソンでさえ、「スペンサーが欠場したからだ。」と評価されない始末。しかし、これとは別にホンダ内部の人達はひょっとしたら、ライダーとしてのスペンサーの衰えや問題などに、マスコミやファンよりも、早くに気がついていたのかもしれませんね。
走っていないにも関わらず、マスコミやファンのフレディー熱は、凄まじいものがありました。
ホンダvsヤマハの戦い、ライダーたちの戦いは、すぐに姿・形が変わり続いていくのです。
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ケガの深刻度も皆が知る中迎えた87年。しかもロスマンズホンダからではなく、HRCカラーで登場(サテライトチームかは分かりません)まぁ・・・位置づけとしてはサテライトなのでしょう。19番を背負い、まさに白紙からの再出発です。
ホンダワークスはもはや、ガードナー中心と動いていました。仕方ありませんよね、スペンサーの状態がはっきりしないわけですから。

転倒でケガをしてしまう場面も多くなりました。この年も欠場を繰り返し、「再起不能」とレッテルを貼られてしまったスペンサー。イギリスGPでは久しぶりにトップを快走するも、マシントラブルでリタイヤ。非常に悔しがるスペンサーでしたが、これが最後の輝きだったのかもしれませんね・・・。
誰もが時代は移り変わったと思ったものです。
引退を決意し、まさに栄光のチャンピオンから、あったいう間に去っていったスペンサーでした。

しかし、、、、

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ローソンのホンダ電撃移籍で幕を開けた89年。そのマールボロ・ヤマハに、なんと!スペンサーまで復帰しちゃった。非常に複雑でしたね「冗談じゃない!なんでヤマハから復帰なんだ。認めんぞ!」と、まるでヤマハファンとは逆の事を思ってました。ケガの状態が良くなったとは言え、よりによってライバルチームからの復帰なんて信じられませんでした。
ローソンとスペンサーを天秤にかけて観てましたね、この当時は。ホンダでどこまでいけるかローソンだって未知数でしたし、スペンサーにいたっては、もっと未知数でしたし。
けども、やっぱりどこかで期待はしてしまうもの。それなりの成績を残してくれればそれで満足できましたし、速さを見せてさえくれれば、それで良かったのですが・・・・。

結果は、ヤマハ勢の中でも遅れをとり、ケガのダメージから途中離脱。チームメイトにすら勝てませんでした。勝手に復帰し、勝手に辞めていったスペンサー。過去、ライバルにすらしなかったライダー達でさえ、太刀打ちできませんでした。
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ライディングフォーム、19番、マールボロカラー、アライヘルメット、南海ツナギと、変わらないモノもあり、これはこれで味があったのですが、それだけでしたね・・・・。
けども、スペンサーもしぶといなら、ファンだってしぶとい「ヤマハだからダメなんだな。やっぱりホンダに乗らないとね。」とローソンの偉業すら無視した、きまぐれ理由を僕はこの当時、結論付けました。。
全てが終わったなっと思ったものです。

しかし、、、、、、、、

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GPを去った89年以降、スペンサーの事など誰もが忘れ、数年が経ったある年。海の向こうから時折聞こえてくるスペンサーのニュース。
8耐もしかり、何やら、状態もよく速さも復活したと。ホンダワークスNSR500にもテストで乗り、ここでも好タイムをマーク。過去復活したスペンサーとは違うスペンサーがそこにはいるようだと・・・・。

やっぱりスペンサーファンにとっては、NSRでありVFRであり、ホンダなんですよ。それ以外ではダメなんです。

なのに、またもやヤマハから復帰しやがった。けど、この93年ヤマハからのエントリーは理解できました。ホンダからの復帰はチームが埋まっていて無理でした。
残念なのは変わらないけど、この時はスペンサーのモチベーションと言いますか、復帰への心意気が違って見えました。「まだまだ本気だ、この人は。」そう思ったんです。

チームフランスから?完全サテライトでも良いじゃない。「スペンサーは本気で復活するつもりだ!」この気持ちだけでも嬉しかったですね。

結果は?
結果ですか?

1戦のみで、見事に飛び散りましたよ!ケガで終わったスペンサーのGP終焉。ホンダからヤマハへと形を変えながらも、この本の様に、それは85年から始まっていたのだなぁっと僕は思えます。

しかし今でも、「ヤマハだからダメだったんだ。ホンダからでなら違ったものになっていたはず。スペンサーにはNSRが必要だったんだと・・・。」

・・・たら・・・・ればではありません。この二つは宿命ずけられた運命だったのです。
時折、「気まぐれフレディー」に本人がなっていただけです。

しかし、、、、、、、、、、、、、、、、しかしね、

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95年。AMAスーパーバイクでドゥカティに乗ってました。しかも緑まで取り入れて(笑)チームメイトは日本人でしたし。
第一線から身を引いたのは本人も分かっていたと思うので、なにをやってももう良いでしょうしね。

GPでは短命のイメージがありますが、スペンサーのキャリアは以外に長かったんですよね。

ほんとに大好きなライダーです。
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by sid80 | 2012-08-30 03:00 | 日常