愛しのスープラとの日々や、つたない日常日記。


by sid80
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<   2006年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

え~、いろいろとネットでグループCを検索したところ、いろいろな画像が発見出来ましたので、懐かしさとパッションが湧きあがった気持ちと友に、年式別に国産グループCカーの進化の記録を紹介したいと思います。トヨタ車中心となってしまいますがご勘弁を。。。
メカニカルな事を入れてしまうとかなりマニアックな世界となってしまうので、わかりやすく外装ボディ関係を中心にいきたいと思います。
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↑トヨタがルマン参戦を開始したのは85年。その時のマシンがこのトヨタ・トムス85CLです。トムスでの参戦意義がまだ多く見られる時代で、基本的には84Cと変わりは無いのですが、この85CLはルマン用にリアウイング部分がルマンスペシャルとしてモディファイされていますし、カラーリングもこのルマンだけに見られたものでした。初出場&初完走12位で、それはそれは熱狂したものです♪国内でもポルシェ相手に初優勝。。いま観ても抜群にカッコいいマシンです。
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↑86年ルマン出場時のトヨタトムス86Cです。このレイトンハウスのスポンサードは直前に決まったらしく、急遽塗り替えられたそうです。これは知らなかった・・。85Cと比べてもフルモデルチェンジと言ってもよく この基本デザインは88Cまで続いて行きます。
しかし、エンジン自体は4T-G~3S-Gと替わりはしたものの2.1リッター4気筒ターボという枠は変更がなく  この頃「何でトヨタはポルシェやジャガーみたいな大排気量エンジンを載せないんだろう・・・・。」と子供ながらに(4気筒は小さいと言うのは理解出来てましたので(笑)思ってました。
その理由は「トヨタ」と名乗りながら、実質はトムス&童夢がマシン開発を限られた制限の中で行いグループC参戦に踏み切っていたからなんです。これでは必要だと思っているエンジンだって開発できっこないわけですよね・・・。
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この86年までは童夢もチームを率いて参戦していました。これ以降童夢は開発チームとして影でトヨタグループCに関わっていく事となります。期待された86年ルマンでしたが、魅せ場も無く、トムス共々全滅・・・・。世界との距離は近ずいたと思った矢先、その差は相像以上にありました。しかし、それとは逆に日本国内では「ルマン24時間で成績を残す。」という熱望は一日でも早く手に入れたい時代へと移っていきます。。
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↑続いてトヨタ・トムス87Cor88Cです。数字が表しているのが年式(?)だと思って下さい。童夢製作&設計マシンです。87年に入りやっとトヨタ本社が重い腰を上げました。グループCプランにトヨタ自動車としての本格参戦開始です。ポルシェ962などに比べ、排気量も小さく見た目の通りひと回り小さなクラスに見えますが、よく健闘していたと思います。国内でもポルシェ相手にガチンコで優勝を記録し始めました。しかしそれは単発にすぎず、ポルシェの様なシャシー設計&エンジンなどを製作するにはやはりメーカーの力がないと厳しかったわけですよね。でもでも、なかなかオリジナルティ溢れてカッコよいです。ライト部のスモークなんてイカシテいます。。エンジンは、変わらず2,1リッター直列4気筒ターボで約680馬力。この排気量&直4でこの馬力は凄いターボパワーです。燃費もへったくれもありません(笑)
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トヨタがやっと本気でグループCに取り込み(画像はありませんが)TRDも加入し88C-Vの登場となります。この辺りから国産グループCカーがポルシェを凌ぐ性能を発揮してきます。88C-Vは88年後半からの登場となり、すぐに89年に向けてのマシン製作が始まります。それがこの89C-Vです。この年から、ル・マンに出場するには世界選手権全戦にエントリーしなくてはいけなくなり、本当の意味で国産メーカーが世界進出をしていかなくてはならない時代となって行きます。まさにグループC全盛期!!89C-Vは88C-Vの空力バランスを見直し、その為デザインとしては他のマシンとの共通点が多くはなりましたが一発の速さは世界と肩を並べるところまでは来ました。しかし・・・・ガス欠で止まってしまうことが多くありましたね(笑)
レース終盤、順位を落としていくことが多かったトヨタ89C-V・・・・・・惜しい所までは行くのですが・・・。シャシーはフルカーボンモノコックとなり、エンジンは待望のトヨタ直系3,2リッターV8となり約800馬力オーバー。
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↑ジャガーなどの影響か、この時期みな後輪にはスパッツを付けているマシンが多く見られましたね。国内はミノルタ、海外はタカキューカラーで走っていました。
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↑↓そしてこれらがトヨタ90C-Vです。年を重ねる事に、どんどん普通化していきます(笑)90C-Vは好みじゃなかったなぁ・・・。今みてもポルシェ962にそっくりだ。しかしこの頃には、すでにポルシェは相手ではなくなっており、同国のニッサンやジャガー、メルセデスらと凌ぎを削って行きます。エンジンは3,6リッターとなり、モノコックも一新。90年ル・マンでは久々の6位入賞。
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89年同様、ミノルタが日本チーム(国内戦)を中心とした組織で、タカキューが世界選手権を戦うヨーロッパチームでの構成となっています。
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↑これは国内を戦っていたデンソーカラーのサード・チームです。ル・マンだけにエントリー。この当時のル・マン参戦はどこのメーカーも凄い状態となっており、年式落ちも含め4台、5台の大量エントリーとなってました。それだけ”ル・マンに勝つ”ということに各メーカーが執りつかれていたとも言えます。
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↑珍しいスポンサーカラーではなく懐かしのトムスカラーに塗られた90C-V。トヨタワークスとしてのルマン参戦はこの90年が最後となり、ターボエンジンを載せたモデルもこの90C-Vが最後となりました。
トヨタはTS020の開発に力を注ぎ世界選手権を戦う事を決定し、その為国内の全日本選手権では90C-Vをベースにし、91・92・93C-Vとプライベーター中心に開発が続いていきました。
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↑シンプル・イズ・ベストとはよく言われますが、ノウハウが蓄積され、無駄を殺ぎ落とした分トヨタグループCカーは年々特徴が薄れてしまいましたね。

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ここからはニッサンの紹介です。このマシンは88年型ニッサンR88Cです。ニッサンは国産メーカーとしては一番遅い86年からル・マンに参戦していました。トヨタの童夢に対して、ニッサンはシャシーコンストラクラーをマーチ社に依頼。このマシンもエンジンはニッサン製ですが、シャシーはマーチ製となっています。この頃のニッサングループCは性能的にもトヨタの後を追うことが多く、苦労していました。グループCを戦うニッサン(ニスモと言ってもいいかも)の勉強の日々が続いていきます・・・・。エンジンは、3リッターV8で、約750馬力。
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↑R88Cのリアテール。いやはや、全くのシンプルなデザインです。
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↑ポルシェはおろか、トヨタに対しても苦戦していたニッサンが89年に入って、凄まじい情熱を燃やしてきました。シャシーをローラ製に変更。エンジンも新設計となり、ポテンシャルが驚くほど上がりました。先ほども書きましたが、89年よりル・マン参戦には世界選手権にエントリーせねばならなかった為、ニッサンの世界戦略マシン、ニッサンR89Cがこのマシンです。全てにおいて過去のニッサングループCカーとは比べ物にならないほど、設計コンセプトや細かな部分の仕上がり、エンジンパワーなど「ニッサン恐るべき!!」と印象を持ったマシンでした。この年はトヨタも88C-Vを国内で走らせましたが、このR89Cはトヨタとの壮絶な戦いの中で、一気にトヨタに追いつき、追い越せと怖い存在となってきます。それは世界選手権でも同じ事が言え、トヨタよりも良い成績を収めていきます。ライバルながら、このマシンもカッコよかったんですよね(笑)エンジンは新設計3,5リッターとなり、約800馬力オーバー。
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↑このマシンは翌90年のル・マンに参戦した国内チームのチーム・ル・マンです。現在もGT選手権で走ってますよね。マシンは上記と同じR89Cで、ライト部など細かな部分が変更されていますが、基本的には変わっていないと思います。
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↑↓翌90年に登場した、ニッサンR90CKです。ちなみにこのYHPカラーはニッサン・ヨーロッパチームで世界選手権を戦かっていた集団ですね。見た目のようにR89Cをベースにした発展型となっています。1990年ル・マン・・・ニッサンは凄いパフォーマンスを魅せつけます。予選では、ポールポジションを獲得(この時点では日本車初)2番手とのタイム差はなんと、6秒!!たかが予選とは言え、この差は強烈でした。。。ペースカーもニッサン・フェアレディZとなって決勝前までは1990年ル・マンはニッサンを主役にして始まっていきます。予選ブーストで1000馬力オーバーを記録!!80年後半からグループCカーは、まさにモンスター化していきます・・・。
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↑こちらのJECSカラーは、アメリカン選手権IMSAを戦っていたアメリカン・チームからの参戦車。
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↑そしてこちらはマシンも違う、日本チームです。このマシンは国内を戦っていたニッサンR90CPです。このマシンはR90CKとは全く違うコンセプトで製作されており、ローラ製シャシーは変わりませんが、より一層ニスモ自社製マシンとなり、オリジナルティー溢れるデザインとなっています。熟成度はR90CKの方がありましたが、マシンポテンシャル的には、けっして負けてはいませんでした。このマシンは後年、デイトナ24時間レースで、日本人ドライバートリオにより優勝を果たしています。国内でもトヨタを寄せ付けず、3年連続チャンピオンとなりました。まさにニッサングループCカー史上、もっとも成功したマシンと言えます。
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↑↓それぞれの、R90CKヨーロッパ、アメリカン、R90CPのサイドビューの比較です。なぜこれをしたこと言うと、この年ニッサンはル・マンにおいてこの3チームからエントリーしていました(プラス先程のティノラスカラーのR89Cも)が、問題発生・・・・ヨーロッパチームとアメリカンチームが対立関係になってしまいまして、お互いにやりたい放題の状態になり、24時間を戦う戦略なども協力体制も取れるはずもなく、言いあい、けなし合いのチーム状態となってしまうのです(推測含む・・・・)決勝では、各マシントラブルが多発し、アメリカンチームのトラブル原因の一つ、燃料系のトラブルだったのですが、調べてみるとそこには出来るはずもない切り傷が発見され、それがリタイヤ原因となってしまったのです。それには”意図的な”ものを感じさせるものがありました・・・・。
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↑これがアメリカンチームのR90CKサイドビュー。上のヨーロッパチーム車と比べるとリアウイング形状が違います。タイヤもグッドイヤーです。色々各セッション、マシンセッティングを試していたのか?ハタマタ好き勝手に自分らでやっていたのか?今となっては謎です(笑)
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↑そしてこれがR90CPのサイドビュー。R90CKとの違いは一目瞭然です。フロントからリアまで綺麗なラインを描いています。空力的にも一番良さそうですよね。このマシンは、90年以降もR91CP、92CPと続き、国内で無敵の強さを発揮していきます。外観やコンセプトはほぼ変わりなく、基本設計の高さがうかがい知れます。
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↑こうやって周りに人が立つとグループCカーの低重心化がよく分かると思います。ボクも富士スピードウェイに初めてグループCを観に行った時、雨で土砂降りだったにも関わらず(つまりドライ時はもっと速い)グランドストレートを凄まじいスピードで走っていくマシンに興奮されっぱなし。
「このひとら、絶対おかしい!」それは雨の中でさえ異次元のグループCのポテンシャルとそれを操るドライバーが信じられませんでした・・・。いまだに覚えてます。
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さきほども紹介したR90CKアメリカンチーム仕様のより大きなリアウイング。それを差し引いてもこの当時どれくらいのダウンフォース量を発生さてていたんでしょうか?見えにくいですが、ディフューザーも今となってはかなり巨大です。
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↑こちらは森脇さん率いるノバ・エンジニアリングのニッサンR91CKです。フロムエーのカラーリングから分かるとおり、元々は962Cを走らせていたチームです。
さすがに国産グループCカーが国内レースで選手権争いを展開を見せる時代ともなると、962Cで戦う意味は無くなり、トヨタもニッサンもプライベーターにマシンをリリースするようになります。このノバ以外にもニッサンを走らせたチームもあり、対してトヨタも962Cを走らせていたトラストにマシンを供給するようになりました。90年以降、やっと国産グループCがポルシェを完全に凌駕する時代となっていったわけです。
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↑ニッサンワークスもR90CKを走らせていたのは90年まで。このR91CKと呼ばれたマシンは実質型落ちではありましたが、ノバ独自のノウハウが入りオリジナルとは違ったアイデアが至る所に入っています。そのアイデアの多くは新時代NAグループCカーの見せた影響が一番大きかったのかも知れません。
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↑ここからはマツダ車の紹介です。まずは86年のマツダ757からです。マツダは日本メーカーの中でいち早くル・マン参戦を果たし、その歴史も一番長いです。マツダはトヨタ&ニッサン(共に最高峰クラスC1)とはクラスが違い、IMSA-GTPクラスでの参戦が続きます。これはロータリーエンジン使用の場合、最低重量が50Kg軽くなるためにで、このクラスでの選択となりました。この757はボディーだけはC1クラスの外装をし、87年には当時ル・マン日本車最高位となる7位入賞を果たして、88年までル・マンには参戦を続けました。エンジンは3ローターで、450馬力を発生。
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↑757のシャシー構成です。車体自体は非常にコンパクトです。757を最後に、マツダグループCカーはボデイカウルもコンパクトになって行きます。
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↑こちらは88年登場の767です。このマシンも90年まで熟成され、767Bとなり続いていきます。ボデイカウルが小さくなり、一見コンパクトカーに見えますが、757よりもエンジン、タイヤ、ブレーキとボデイサイズも大きくなっています。3ローターから4ロ-ターとなり、550馬力を発生。進化版767Bは可変吸気を導入し、630馬力までアップ。88年デイトナ24時間では5位入賞。ル・マンにおいても、3台全て完走し、再び7位に。
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↑↓こちらが90年デビューの787です。お馴染みのレナウン・カラーですね。このマシンの特徴は何と言っても、リアに付いている他とは違った形状のスパッツです。ブレーキ冷却用のダクトもしっかり付いていますね。この202号車は、この年からル・マンに出場したガショー/ハーバート/バイドラー組です。モノコックはカーボン製となり、4ローターも進化し、700馬力まで発生。しかし、信頼性に乏しくル・マンでも苦戦。この90年にはグループC規定が変更され、ロータリーでは91年のル・マンには出れない・・・・となり、マツダはこのル・マン惨敗と共に打ちのめされた状態となってしましました・・・しかし、ロータリーでのル・マン出場は一年延ばされ、91年のスーパー・サクセス・ストーリーへと続いていくわけです!!
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↑こちらは一見787に見えますが日本人コンビが操った767Bです。ボデイ関係やレイアウトなどを787化で変装。マツダは全くのブランニュー・マシンを設計することはなく、基本設計を年々モディファイし続け、戦闘力を上げる方法をとってきました。なのでこの様な旧シャシーに新ボディって事も可能なわけですね。。
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そして最後に紹介するに相応しいこのマシンがマツダ最後のグループCと言っても良い787Bです。くどい様ですが、91年ル・マン24時間レースにおいて日本車で唯一勝利を収めたマシンです。Bが示す通り787からの発展モデルですが、徹底的にテストを繰り返し、限界まで燃費性能を追求。ドライバーらにも燃費走行をマスターさせ、シュミレーションを繰り返し、まさにロータリー最後の挑戦は”花道を飾る”となったわけです。このマシンでメルセデス、ジャガーに立ち向かい、見事日本人の長年の夢を実現した歴史に残る名車です。この歴史的事実がある限り、マツダは市販車においてロータリーエンジンを作り続けなければいけないと勝手に思っています(笑)こんな意味でボクも「RX-7買ってもいいかも?」と頭によぎるときがあります。好きですしね・・・クーペだし。GT-Rよりは好きです(笑)
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↑栄光のチェッカーを目指し、まさに手にする瞬間です。日本車同士のランデブー走行・・・・これも、また日本人の夢でした・・・・。マツダが与えてくれました。
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まとまりが良すぎてあまり感じないかもしれませんが、こうやって改めて見ると非常にオリジナルティあるグループCカー。。まさにマツダ技術の結晶です。他のどれとも違います。
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夢を叶えた男達の仕事場。耐久レースゆえ、ストレスを感じさせないシンプルレイアウトとは言え、ここで優に300kmオーバーのレースをしていたのですから、まさに想像を絶する世界です。
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by sid80 | 2006-11-25 20:48 | レース
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ちょっと前になりますが、ボクにとって何より好きだったグループCカーを特集した雑誌を手に入れました。これは「レーシング オン」という雑誌で特集されて記事などをまとめた一冊(ちらほらと見かけていたのでその時も買ってはいましたが・・・)特典DVDなど見逃していた記事などがあったのですぐに新らたに購入しました。過去にもグループCや現代のスポーツプロトを専門にした雑誌も出てはいるのですが、中々売っている書店が近くになく、買ったり、買えなかったりと・・・。

まさにこの「グループC」は自分にとっての青春そのものです。ル・マン24時間レースをはじめとする耐久レースがメインのカテゴリーではありますが、何よりグループCカーがほこるシルエットにとてつもないカッコよさを感じたんですよね・・・・。
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今でも一番好きなレーシングカーはこのポルシェ956であり962Cです。ボクのポルシェに対する企業イメージはこれらのクルマらからきています。ワークスとして参戦し、いち早くグループCレギュレーションに対応したマシン開発に成功し、その後プライベータなどに惜しげもなく販売し、自社製品の高性能さをアピールしつつ、またそのカテゴリーを支える意思など、まさにこの当時グループCは「ポルシェの敵はポルシェだけ」でした。何て言ったってプライベータでもポルシェを購入さえすれば、勝つことが可能であったわけですから。
このロスマンズカラーも、この時代のワークスの象徴となっていました。
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↑今現在でもル・マンなどで活躍するチーム、ヨーストです。
ニューマンカラーが懐かしいね~。。彼らも元はポルシェプライベーターの一つでポルシェ軍団の争いの渦中、いち早く排気量アップやスペシャルチップの導入などプライベーター勢のトップにのし上がります。
しかも84・85年にはワークスを差し置いてル・マン制覇を成し遂げています。これらの戦績が認められ、ワークス撤退後もポルシェ本社からのサポートを受け、最後までジャガーやメルセデスなどのライバルらと戦い抜きました。
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↑撤退後88年ル・マンのみに再登場したワークスの最終兵器型962Cです。ロスマンズからシェル&ダンロップカラーを身にまとい、この凝ったカラーリングもワークスらしさを感じさせました。
当時962Cとしては最大排気量となる3.2リッター化、エンジンマネージメント類なども最新鋭技術が投入され、予選仕様で約1000馬力を、本番仕様でもそれまでと比べて50馬力以上は出ていたそうで、ほぼ熟成の域を迎えていたと思われていた962Cをワークスは飛躍的に進化させました。結果的にはこのハイテク化故のささいなトラブルの為、優勝を逃す事となってしまいましたが、文字通り最強最速の962Cです。
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↑ポルシェプライベーター勢初期に見られたフィッツパトリック956です。何と言ってもこのスコール・バンディットカラーがカッコよかった!今見ても好きなカラーリングの一つです。
数多くいたプライベーター勢でしたが、色とりどりのスポンサーからチーム名ではなくスポンサーネームで呼ばれていたのも特徴の一つでした。
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↑日本でも御馴染みのケンウッドがスポンサードとなっていたクレマーポルシェ962Cです。
グループC以前から有力ポルシェプライベーターの一つで、歴史は長いチームでした。クレマーも自チームで962Cモディファイを早くから取り込み始め、リアウイング処理などオリジナルな形式をしていました。
このカラーリングは88年仕様で高橋国光&岡田秀樹らがル・マンで乗り込み当時の日本人最高記録となる9位でフィニッシュ。
国産勢をよそにポルシェにさえ乗ればトップ10入りも果たせた複雑な時代でした(笑)
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↑思わず「懐かしい~」と言ってしまうレイトンハウスカラーに塗られたクレマーポルシェ962CK6です。上記と同じクレマーのポルシェで、年々進化を進めたモディファイの結果、ここまで962Cを変化させました。逆に言えば開発の止まった962Cで戦い抜く為には、このままでは勝負にはならない・・・とクレマーが捻り出した答えがこの962Cでもあった訳です。
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↑海外で行われたプライベーターポルシェの改良は国内にもすぐ伝染し、このフロムエーポルシェに見られるように、それらを参考にしたり国内サーキットに対応したオリジナルパーツの数々、あるいは改良シャシーそのものを購入したりと海外とは別に、年々進化する国産グループCカーに対しての戦いを日本でも行っていました。
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↑こちらも国内ポルシェプライベーターシュパンポルシェです。元ポルシェワークスドライバー出身のバン・シュパンですね。
ロードカーとして市販化されたシュパンポルシェをご存知の方もいるのでは?そのシュパンです(笑)バブル真っ只中の時代で、このアートスポーツなど国内外を問わず多くの日本企業がスポンサーとなっていたのもポルシェグループCの歴史でもあります。
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シュパンシェフ独自の味付けがされた962C。方向性は似ていても、細かな部分にオリジナルティーが感じられます。
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↑シュパンポルシェ一番の特徴はこのカーボンモノコック。と言ってもアルミモノコックにカーボンを貼り付けたオリジナルですが・・。販売もしていたようです。
プライベーター達も他メーカーのグループCに対抗するため色々苦肉の策を練っていたようですね。

国内でもグループCレースは賑わっていたので、ヨーストやクレマーなど海外チームが全日本にエントリーする事も多く見られましたし、逆にWSPCでは海外チーム枠を借りて国内チームがエントリーするなどプライベーター間のやり取りも、両方観ている自分には面白いものがありました。
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↑チューニングメーカーとして有名なトラストが走らせていたイセキポルシェ956です。
昔はトラストもバンバンにレースをしていたものです。寂しいね・・・・それを考えると、今は。
しかし、なによりもこのイセキ・トラクターを全面に出したこのカラーリングがいい!先も後にも他では見られなかったものです。ポルシェマークとのアンバランスさがなんとも♪
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↑こちらは80年代によく見られたキャノンがスポンサードしたキャノンポルシェ956です。
ウイリアムズホンダF-1に見られたように、キャノンもこの時代モータースポーツのスポンサーを多くしていました。リチャードロイドレーシングエントリーのこのポルシェでしたが、文句無くこのカラーリングがカッコよかったです。シンプルではありますがデザイナーセンスが光るカラーリングをしています。彼らもいち早くポルシェシャシーの不足した部分に目をつけ、オリジナルの改良を行い好成績に結び付けていました。
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↑そのリチャードロイドが行った改良の答えがこのリチャードロイド962GTIです。これを当時初めて見た時、「なに?このクルマ?どこの?」としばらく962Cだとは気が付きませんでした。
こうやって並べてみるとそうでもないのですが、962Cと知ったときにはそれはビックリしたものです。確か最初はリキモリカラーだったと記憶していますが・・・。モノコックから改良が始まり見た目にも一番大きな変化が見られたマシンでした。手直しを行ったデザイナーは後のマツダ787Bで有名なナイジェル・ストラウド。う~ん思わず納得。
結構プライベーターらの間でも話題になった962Cで、さきほどのトラストが後に購入し国内でも見られたマシンでした。
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↑プライベーター最後を飾るのは、始めに紹介したヨーストレーシングです。この写真はIMSA仕様となっていますが、グループCでも見られたヨースト962C最終型とほぼ一緒ではあります。
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彼らはポルシェAGからのサポートを受けていたので逆の意味で他のプライベーターらと違い、962Cオリジナルベースでの改良を最後まで続けました。
ヨーストにもさまざまな改善プランはあったと思いますが、ポルシェAGが962Cの大幅な改良を嫌ったとも言えます。それでも勝ってしまうあたりはやはり目には見えない力があったのでしょうね。
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これらプライベートに販売された962Cは、名門チームを誕生させる手助けともなり、先ほどのヨーストを筆頭に、クレーマー、リチャードロイド、ブルン、国内ではトラスト、シュパン、ノバなどその後の耐久選手権でも活躍するチームを生む土台の役割を果したとも言えたグループCにおけるポルシェでもありました。
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↑エンジンは市販ポルシェでもお馴染みの水平対向の6気筒ターボエンジンです。この写真は主に956で見られた935/82型と言われるエンジンで、ヘッドのみ空冷式でクーリングファンまで付いたエンジンです。
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↑こちらが962Cとなってからの935/83型です。全水冷式となり徐々に排気量アップなどを伴い、ライバルらの後追いエンジンに対抗しました。
956と比べインタークーラーの容量アップや配管などの変更がされています。ウエストゲートもよく見えてますね。

これらエンジンの搭載位置や冷却系のレイアウト、サスマウント方式、空力工学など後を追った全てのメーカーが参考にしたポルシェ工学の真骨頂、それが956&962Cでした。。。

そんなポルシェもやがてワークスが撤退し、ジャガー&メルセデスの時代がやってきます。日本メーカーはプライベートポルシェとやっと張り合えるレベル。やっとの思いでポルシェに追いついた時には、すでにポルシェ社自体はいませんでした。プライベーターが開発の止まったマシンをモデファイし戦っている状態で、その一方で莫大な開発予算をかけているにも関わらずトヨタ、ニッサンはトップレベルで張り合えるマシン開発ができないでいました。まさにこの時の苦悩は市販車とまったく同じことが言えました。追えば追うほど先を行くで(ノウハウが無かったと言ってしまえばそれまでですが)いつまでたってもポルシェや外国スポーツカーは高値の花・・・・・それがそのままこの時代の国産グループCにも言えた訳です。
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↑巨大ポルシェ王国に挑み、最初にポルシェを打ち破ったメーカーはTWR率いるジャガーでした。
この写真は主にIMSAで活動したTWRが手がける前の初期モデルジャガーXJR-5です。7リッターNA/V型12気筒エンジンを搭載し、ロングノーズ&テールなど、グループC初期に見られたスタイルをしています。
このグリーン色のカラーリングが鮮やかでした。
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↑XJR-5ではポルシェのパフォーマンスにはまだまだ及ばず、85年中期から登場したのがこのジャガーXJR-6です。TWRの登場ですね。設計コンセプトも全く変わり、無駄な部分を素地落としたこのマシンで、驚くほど短時間にポルシェ軍団に割って入って行きます。ターボを選択せず、大きく重たいエンジンにも関わらず、大排気量でパワーをリカバー。デザイナー、トニー・サウスゲートが贈るTWR流のコンセプトが見えたマシンとなりました。86年、選手権争いでもワークスポルシェに対し、あと一歩まで迫ったものの、ル・マン制覇、選手権制覇はなりませんでした。
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しかし、いよいよジャガーがポルシェ王国を打ち破る夢は現実のものとなろうとしている事は、多くの人々が感じていました。さすがに962Cにも古さが見え始めるようになります。(ポルシェは頑として新型グループCは開発しませんでした)そして87年。ジャガーは世界選手権制覇をこのジャガーXJR-9で果します。しかもある意味圧勝でした・・・。
グループCにおける役割を果したと決断したポルシェは87年限りで撤退。チャンピオンは奪われたもののル・マンにはキッチリ勝利を収め、花道を飾りました。
しかーし、、、このストーリーには続きがあって88年ル・マンに限りワークスポルシェ復活。ル・マン制覇に燃えるジャガーとガチンコ勝負となった88年ル・マンは壮絶なレースとなりました。結果を言えばジャガー念願のル・マン制覇!!となりましたが、24時間レースにも関わらず同一ラップでワークスポルシェが2位で続き、その戦いはまさにメーカーの戦争と感じられた戦いでした。
この戦いをみてボクは「文字通りポルシェの時代は終ってしまったんだな・・・。」と感じずにはいられませんでした。
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↑ポルシェを破りグループCを席巻し始めたジャガーですがその余韻に浸る暇もなく、88年にはザウバー率いるメルセデスの攻撃を受けることとなります。F-1でお馴染みだったあのピーター・ザウバーのチームです。彼らもポルシェを凌ぐグループCを早々に開発し、88年はジャガーVSメルセデスとの戦いへと移っていきます。上記の写真はジャガーXJR-12で、ネーミングが示す通りジャガーのグループCは基本設計は変わらず、WSPCを引っ張っていきます。初期設計の高さがうかがい知れますよね。
リアホイール部のスパッツもジャガーに続いて他メーカーがよく取り入れた部分です。
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ジャガーXJR-12のエンジンです。これらのV12気筒は市販車エンジンがベースとなっており、オリジナルは白いエキゾーストパイプでしたが、この大きくて重いエンジンでよく戦ったっていたと思います。しかし、ジャガーはNAと平行して、ターボエンジンの開発に着手しますが、なぜかこちらは全くの苦戦でした。ドラブルの連続でその間にメルセデスにチャンピオンの座を持って行かれます。ジャガーの復活劇は91年に凄まじい形で表わされて行く事になっていきます・・・・。
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↑このマシンがXJR-9に続いて、先ほどのターボエンジン搭載モデルジャガーXJR-11です。
メルセデスらの攻勢に対抗する為、NAを諦め新開発のターボエンジン(3.6リッターV型6気筒)を載せたマシンですが、シャシー自体は見ての通りXJR9系の発展型。空力的にシャープな外観となりましたが、ターボ化による熱や冷却系に無理が集ったのか、エンジントラブルの連続、またシャーシ自体にも問題があったのかもしれません。
結局このXJR-12は失敗作となり、お蔵入り。ル・マンなどではこのマシンでは戦えるはずもなく、前NAモデルを発展させたXJR-12、13となっての戦いとなってしまいました。

いろいろ書いてきましたが、この時代の国産メーカーが世界に打って出て行った(特にル・マン出場する為への全戦出場が義務化された89年からは)これらのスタンスや数々のグループCカー。それらがたまらなく好きで、熱狂し、むしろ言うならグループCだけが好きではなくこの時代が好きだったのではないかと今は思えます。この頃のグループCに乗っていたドライバー皆が今言います。

「正直、怖かった。今思うととんでもないレースをしていたと思う。けどね・・・・今じゃ考えられないこれらのモンスターを操っていたプライドが今はある」

そうですよね・・・・当時ドッカンターボ特性の1500馬力!!ノンパワステ!!ル・マンで言えばこのモンスターをユノディーエールストレート400kmオーバー、それで24時間も走ってた時代。。

結局は、F-1に数多くのメーカーを呼び込むため、CカーはNA化となり、プライベートチームは参戦できるマシンが無くなり、メーカーだけの戦いとなって、しかもその割には人気がなく、メーカーも撤退を決定。。こうしてグループCの幕は閉じます。

しかし、この今は無いからこそこのグループCカー。それはまさに自分が過ごした青春時代でもあり、たまには振り返ってみるのも悪くないんじゃないでしょうか?この本のように、そこで新らたに知る事実もあるわけですから、止めれませんよね。
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by sid80 | 2006-11-16 19:07 | レース
70スープラには効果大のボディー補強関係のパーツをやっとこさ手に入れました。いつもの御用達ショップ、マーシーオートオリジナル・パーツの買出しスタートです(笑)

ボクの70はエアロトップ車なので、まずはエアロトップの泣き所、ボディー周りの補強アップを始めることとしました。
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↑今回購入したパーツは2点。左右にあるのがアンチライドバーで、上側横に伸びているのがアンチライド・オプショナルバーです。アンチライドは単体で装着可能ですが、オプショナルはこのアンチライドとの組み合わせでの装着となります。
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これがアンチライドバーです。シートベルトのアンカー部を使い装着します。外からでもウインド越しに見えます♪
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↑このマウント方式から相像できるように、走行中に発生するボディーに対してのありとあらゆるねじれに対し、しっかりと剛性力を発揮してくれます。道路の形状やギャップなどに対して反発力を生み、それらがダイレクトに伝わってくるので路面状態などがわかりやすくなりました。
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そしてこれがアンチライド・オプショナルバーです。アンチライドバーと組み合わせでの装着となります。このままではリアシートには乗れませんし、車検時にも外さないといけません(笑)このバーの効果は名の通りボディーの左右などのねじれに対し、効果を発揮してくれました。例えて言うならボディー版スタビライザー。。バックミラーを見ても後方視界のジャマにはなりません。
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リアからの全体図です。これらの補強バーの効果は大きく、70のように普段走っていても剛性不足を感じる(80から乗り換えると余計に・・・)クルマなどには余計に変化の大きさを感じます。コーナーなどでもハンドルをきるとスパッとクルマが曲ってくれますし、今まで後から遅れて曲るって感じだったのがすごい解消されています。あと、トラクションが良くなりました。。これは予想外でした。。

マーシーオートにはこれ以外にも補強バーはラインアップされているので、今後も購入していく予定です。まずは確実にボディー剛性のアップを図りたいと思います。リアのタワーバーなどまだありませんしね・・・・。
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そして今回はもうひとつのアイテム、このリアサイドマーカーです。ちょっと訳ありましてリア部の修復が必要となってしまった為、触るならついでに付けてしまおう。っと思い装着することとしました。80スープラなどには後期型モデルには装着されるようになりましたが(前期型はなし)70に関してはこのサイドマーカーは輸出仕様だけのラインアップとなります。一言で言えば、輸出仕様に今回したわけですね。。輸出仕様に仕上げてる70オーナーの方も結構見かけますよね?しかしこの仕様にするのは問題があります。数ある輸出部品のラインアップですが、すでに欠品が多く、したくても出来ない・・・という御時世となっています(笑)これはもう仕方ないですね。今回もモール部のサイドマーカー装着の為、穴あきモール仕様が元々あったのですが・・・すでに欠品。仕方ないのでモールをマーカーにあわせカット。配線などはマーシーオートにて長年の経験をふんだんに使ってもらいやってもらいました♪(それほどむずかしい作業ではありませんが(笑)
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こんな感じで装着されます。ボクはこれらのアイテムにさして関心はあまりなく、リアの作業ついでにしたわけですが、手に入れるとこれはこれでうれしいものです(笑)スモールライト時にはここが赤色に光ります。70オーナーには定番で人気のあるリアサイドですが、その理由がわかった様な気がします。。。。。
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↑夜間点灯時です。光る範囲は小さく見えますが、光沢も高く今まで点灯していなかった所が光っているとその変化の違いは大きいです。
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オシャレは足元から~って事でこんなものも付けてみました。。この分野御用達のRAZO製です。最近雑誌などでも付けてるのよく見るのですが人気なんですかね?フットペダルも合わせたかったので、このモデルにしたのですけどね。個人的な感想はペダルタッチはズッシリとなり、雨時でも滑りなどは全く起こりません。運転席に座ってても見えるので、なかなかよい気分です♪
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by sid80 | 2006-11-05 19:31 | 70スープラ