愛しのスープラとの日々や、つたない日常日記。


by sid80
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カテゴリ:日常( 11 )

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知っている人は知っている人物であり、知っている人は知っている雑誌「RACERS」から、待望の1985年・NSR特集パート2が発売されました。

子供の頃ビデオで観た、ロスマンズホンダ&フレディーの活躍は鮮明に覚えています。もちろんリアルタイムで知っていたわけではないのですが、WGP日本GP初開催や日本人ライダーの世界進出などと重なり、子供ながらにも情報として知り始めた時期でした。

鈴鹿8時間耐久も空前の盛り上がりをみせてましたしね。
当時はビデオを観ると言っても、WGP関連はレンタルビデオなどでしか見ることが出来ず(僕の周りではそうでした)しかも、今の様に日本語字幕などないものもあり(外国版そのもの)何を言っているか分からないけど、世界のGPを映像として観れるだけでも、胸が高まり、一生懸命食い入るように観てました。

そこで衝撃を受けたのが、フレディースペンサーその人です。しかも初めて観たのが、この1985年WGP。
むちゃくちゃカッコよかったんです。ロスマンズホンダとスペンサーが。クルマはトヨタ党ですが、この衝撃のイメージを受けてから、未だに2輪はホンダ一辺倒です。ヤマハは最大の敵(笑)

子供の頃の思い出と懐かしさから、この本を手に取らないわけにはいきません。過去も含め、ほんとに良い本を作ってくれます、RACERSは。

スペンサー魂に、また火が着いちゃいました・・・・。
僕にとっては83年の偉業より、85年のインパクトの方が強くてスペンサー最大の黄金期だと思います。
もっと続いて欲しかったけれども・・・・・。
ダブルエントリーの理由も分かりましたし、85年以降のスペンサー下降も、同時にこの年から始まってしまっていたんだなっというのもこの本を読むと気がつくと思います。

何事も、あっという間に駆け抜けていったライダーでありました。今となっては、その偉業は紙一重だったのかも知れないけれど、今でも強烈に光り輝いています。
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86年チャンピオンナンバーで迎えた開幕戦からいきなりケガの後遺症が表面化します。以降欠場し(欠場自体は珍しくなかったけれど)名前だけが一人歩きします。ガードナーが健闘を見せますが、ヤマハ勢にこてんぱにやられます。
チャンピオンのローソンでさえ、「スペンサーが欠場したからだ。」と評価されない始末。しかし、これとは別にホンダ内部の人達はひょっとしたら、ライダーとしてのスペンサーの衰えや問題などに、マスコミやファンよりも、早くに気がついていたのかもしれませんね。
走っていないにも関わらず、マスコミやファンのフレディー熱は、凄まじいものがありました。
ホンダvsヤマハの戦い、ライダーたちの戦いは、すぐに姿・形が変わり続いていくのです。
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ケガの深刻度も皆が知る中迎えた87年。しかもロスマンズホンダからではなく、HRCカラーで登場(サテライトチームかは分かりません)まぁ・・・位置づけとしてはサテライトなのでしょう。19番を背負い、まさに白紙からの再出発です。
ホンダワークスはもはや、ガードナー中心と動いていました。仕方ありませんよね、スペンサーの状態がはっきりしないわけですから。

転倒でケガをしてしまう場面も多くなりました。この年も欠場を繰り返し、「再起不能」とレッテルを貼られてしまったスペンサー。イギリスGPでは久しぶりにトップを快走するも、マシントラブルでリタイヤ。非常に悔しがるスペンサーでしたが、これが最後の輝きだったのかもしれませんね・・・。
誰もが時代は移り変わったと思ったものです。
引退を決意し、まさに栄光のチャンピオンから、あったいう間に去っていったスペンサーでした。

しかし、、、、

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ローソンのホンダ電撃移籍で幕を開けた89年。そのマールボロ・ヤマハに、なんと!スペンサーまで復帰しちゃった。非常に複雑でしたね「冗談じゃない!なんでヤマハから復帰なんだ。認めんぞ!」と、まるでヤマハファンとは逆の事を思ってました。ケガの状態が良くなったとは言え、よりによってライバルチームからの復帰なんて信じられませんでした。
ローソンとスペンサーを天秤にかけて観てましたね、この当時は。ホンダでどこまでいけるかローソンだって未知数でしたし、スペンサーにいたっては、もっと未知数でしたし。
けども、やっぱりどこかで期待はしてしまうもの。それなりの成績を残してくれればそれで満足できましたし、速さを見せてさえくれれば、それで良かったのですが・・・・。

結果は、ヤマハ勢の中でも遅れをとり、ケガのダメージから途中離脱。チームメイトにすら勝てませんでした。勝手に復帰し、勝手に辞めていったスペンサー。過去、ライバルにすらしなかったライダー達でさえ、太刀打ちできませんでした。
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ライディングフォーム、19番、マールボロカラー、アライヘルメット、南海ツナギと、変わらないモノもあり、これはこれで味があったのですが、それだけでしたね・・・・。
けども、スペンサーもしぶといなら、ファンだってしぶとい「ヤマハだからダメなんだな。やっぱりホンダに乗らないとね。」とローソンの偉業すら無視した、きまぐれ理由を僕はこの当時、結論付けました。。
全てが終わったなっと思ったものです。

しかし、、、、、、、、

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GPを去った89年以降、スペンサーの事など誰もが忘れ、数年が経ったある年。海の向こうから時折聞こえてくるスペンサーのニュース。
8耐もしかり、何やら、状態もよく速さも復活したと。ホンダワークスNSR500にもテストで乗り、ここでも好タイムをマーク。過去復活したスペンサーとは違うスペンサーがそこにはいるようだと・・・・。

やっぱりスペンサーファンにとっては、NSRでありVFRであり、ホンダなんですよ。それ以外ではダメなんです。

なのに、またもやヤマハから復帰しやがった。けど、この93年ヤマハからのエントリーは理解できました。ホンダからの復帰はチームが埋まっていて無理でした。
残念なのは変わらないけど、この時はスペンサーのモチベーションと言いますか、復帰への心意気が違って見えました。「まだまだ本気だ、この人は。」そう思ったんです。

チームフランスから?完全サテライトでも良いじゃない。「スペンサーは本気で復活するつもりだ!」この気持ちだけでも嬉しかったですね。

結果は?
結果ですか?

1戦のみで、見事に飛び散りましたよ!ケガで終わったスペンサーのGP終焉。ホンダからヤマハへと形を変えながらも、この本の様に、それは85年から始まっていたのだなぁっと僕は思えます。

しかし今でも、「ヤマハだからダメだったんだ。ホンダからでなら違ったものになっていたはず。スペンサーにはNSRが必要だったんだと・・・。」

・・・たら・・・・ればではありません。この二つは宿命ずけられた運命だったのです。
時折、「気まぐれフレディー」に本人がなっていただけです。

しかし、、、、、、、、、、、、、、、、しかしね、

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95年。AMAスーパーバイクでドゥカティに乗ってました。しかも緑まで取り入れて(笑)チームメイトは日本人でしたし。
第一線から身を引いたのは本人も分かっていたと思うので、なにをやってももう良いでしょうしね。

GPでは短命のイメージがありますが、スペンサーのキャリアは以外に長かったんですよね。

ほんとに大好きなライダーです。
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by sid80 | 2012-08-30 03:00 | 日常

庭師の技

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何年かすれば必ずおとずれる庭の手入れ。その何年かぶりの手入れを今年行いました。
雑草は庭一面に生え、足の踏み場もない状態で、木の枝が伸び、家に掛かってしまうぐらい伸びてしまったのが理由です。
贅沢ではありますが、我が家では庭の手入れは専門業者に必ず頼んでいます。園芸の趣味はありませんし、自分での草刈なんてそんな気は起こりません。知識なんてないし、何より出来がプロとは比べ物になりませぬ。

父親がこだわっていた事もあり、その流れを引き継いでいるとも言えます。
過去は、雑草だけを処理してもらっていたのですが、今年はそれら雑草が今後は生えてこないようメニューを追加しました。なので画像のように雑草狩り、砂利を敷き詰めてもらいました。

こちらでするのは、殺菌の手入れをするだけですね。
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一番大きな木だった枝も、大きくカットしてもらいました。強い風の日など音がすごかったのでこれで一安心。
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↑網も一部新しくしました。錆の心配もないし、網目もしっかりしました。
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庭に関しては新築しても唯一変わっていない場所。それでこのバーべキューレンガも親が新婚時に作ってもらった物だそうです。聞いたら、「作ったけど、一度も使った事はない。」って言ってました。
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年期は入ってますが、まだまだ使えそうです。サイズは今となっては小さいですが、雑草がなくなりましたのでやれそうでなぁ。
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↑こちらは表側。この木も窓に掛かってしまうぐらい伸びてましたので、すっきりカットしてもらいました。

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庭師さんの作業中、実は私くし、救急車で運ばれる事態になりまして、なんと入院してしまう事態となってました・・・・。手術とか大げさなものではものではありませんが、発熱と顔が腫れてしまいました。「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」と言う病気でした。一週間入院してました。つらかった~。
なので、この作業中、自宅には居れず一度も観てません。終わってからこの庭の出来を見て感激しました。入院していたので余計にそう思えるのかもしれませんが、今までで一番の出来だと思います。たまに歩いてますしね(笑)
庭が非常に広く感じます。
まだまだ園芸の趣味を持つのは遥か遠くだと思いますが、この庭を見ているとそう言う趣味も悪くないなって思いますね。
何かをするわけでもありませんが、この状態を保っていたいなとは思います。
綺麗な状態を保つと言うのはクルマにしろ何にせよ、同じ物を感じますね。やっぱりプロの技は違います。
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by sid80 | 2012-05-31 19:26 | 日常
読書の秋とよく言われますが、そんなことは関係なく年中ボクは本をよく読みます。そうは言っても別に読書が好きではなく、その理由は通勤電車の中で暇だから。。

ただ、それだけです(笑)「携帯離せない病」よりはいいでしょう。。

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そして今回紹介するのは、ドラマーの高橋まこと。まこっちゃんの初エッセー本です。

この本の存在をネットで知ったのですが、とりあえずはいつもよく行く本屋で確認してみようと行ってはみたのですが、やはり在庫はなし。
念のため店員さんに確認もしましたが、やはり取り寄せになるとの事。

う~ん、どうしようか。

結局注文はせず、後日ふたたび除いてみると、なんと!あるじゃないか!!

ありがとう!あの時の店員さーーん。俺のために取り寄せをしてくれたんだと。。
う・・・・・泣かすぜっ。。たかが本一冊で、こんな出会いをするなんて・・・・素敵だ(笑)

さて肝心の内容ですが、高橋まことがドラムとの出会いや、数々のバンド結成、苦節、挫折・・・。その当時の時代背景や社会的な風潮。非常に細かく書かれ、分かりやすいです。
あとミュージシャンの世界って意外と狭いのね。。いろいろなつながりとかも書かれています。

今、知るBOOWY結成前のプロとしての活動など、やはり結果的にチャンスをつかむ人間というのは色々と行動して、決して同じ場所でチャンスを待つのではなく、自ら行動に移しチャンスをつかみに行くものだと思わされました。もちろん偶然が偶然を呼ぶ運命的な出会いも必要ではあるけれど・・・。

そして、彼がつかんだ運命的なバンド「BOOWY」に関するストーリーは注目ではあります。
活動期間はわずか6年。ほんと短かったんだなぁ・・と思いますね、それにしても。

過去、布袋の本にもありましたが、この本ではそれよりもっと具体的に書かれています。まぁ、このあたりは、氷室にしても布袋にしてもある意味当事者の二人では、やはり言いにくい事ではあるなって思いますが。

まこっちゃんだから書けるのかな?とも思いますし、物事の見方が、この人ならイーブンに見ることが出来たんであろうなっと感じました。

やはりデビュー当時のBOOWYは氷室というキャラクターが前面に出ていましたし、「近寄りがたいオーラがあった。」そのままに、廻りに対して常に攻撃的であったんだと(笑)

他のメンバー間とのやりとりや出来事など、詳しく書かれていますのでどうぞ楽しんでください♪
今改めて各メンバーの人間性が見えてくると思います。

BOOWY解散後のまこっちゃんの音楽人生。いろいろと発見があって彼の人生をはじめて垣間見れたような気がします。

味のある人生だ!!
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by sid80 | 2007-12-13 18:41 | 日常
4月に行ったマレーシアF-1観戦のとき、タイトなスケジュールの中でちょっとした観光も出来た事を書きましたが、せっかく行った海外旅行(笑)その時の様子を紹介したいと思います。(けっしてネタ切れではありませんよ・・・・)
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↑これが泊まった「アリアホテル」です。前夜祭が盛り上がったこともあり、ここに居たのは約6時間ぐらいだったかな?ほんとに泊まるだけでしたが、値段も安く、そのわりにはほど良い規模のホテルでした。
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ホテル室内です。友人いわく「2名で予約したけど、やっぱり予想通りダブルベットだよ~。去年もそうだったぞ。」おいおい・・・・男2人だぜェ・・・・気の利いたマレーシアのサービスでした。。いつの日か、女性と来れる男になってやる!!っと思ったのであります・・・。ちなみにテレビで日本のお笑い番組がやってました。ここでもアルコールではないですが「レッドブル」で再び乾杯!!酒まみれ?の夜も終わろうとしています(笑)
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朝食を終え、ボクらの班は市内観光にモノレールで移動。。
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行き先は・・・・
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ここKLタワーです。ここに登って何を見るかといえば・・・
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かの有名なペトロナスタワーです。ちょっと曇ってましたが、タワーから見渡す街中は、その国々の人達の暮らしや建物の特徴がよくわかるのでお勧めです。。ペトロナスも高い建物ですが、KLタワーの方がじゃっかん高いんですよ、知ってましたか?
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これは地上からみたペトロナスタワーです。「ペトロナス」とはマレーシアが誇る最大の石油メーカーです。もちろんF-1チームのスポンサードもしていますし、マレーシアGPの冠スポンサーも行なっています。
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ボクも驚いたのですが、クアラルンプールって高層建造物が多いんですよね。まだまだ建設中の物もあってその数にもビックリです。
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これも驚きパート2。タワー内に展示してありましたが、ボクらよりもずっと前に日本人が来ていました(笑)マレーシアでも有名人なのかな?
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これは友人のお買い物目当てに行ったとあるブティック店(名前忘れちゃったな・・・)どう見ても高級店ばかり、凄い綺麗なところでオシャレでしたね。ちなみに友人の探しものの日本で有名なブランドバックもありましたが、聞くと日本より高かったそうです。なので、パス!!全てが日本より安いわけではないようで・・・・これも勉強になりました。
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ポルシェ・デザインも発見。。いつか、スラッっとこういうお店で買い物がしたいですね~。。この後買い物を終え、F-1観戦へと出掛けたのでありました・・・・。

今振り返ってみても、ほんとに全てが昨日のことのように思い出され、疲れた時、むかついた時、苦しい時など、これらの事を思い出して、励みにして頑張っています。疲れや苦しみなど時が過ぎれば消えてゆきます。。けれど、このマレーシアでの思い出は決して消えることはありません。気は持ちよう、強い気持ちが勝つのです。今後もこのような楽しい時間を体験&実現できると信じて、頑張りますよ~!!
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by sid80 | 2006-04-27 00:44 | 日常
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のっけからすごいタイトルですが、最近本屋に行ったとき、またもや偶然にこの本を発見しました。

サブタイトルのように「アイルトン・セナ十二年間目の真実」に惹かれさっそく購入。

「そっか・・・・・セナが亡くなってからもう十二年にもなるんだ・・・・。」

1994年5月1日、ボクはそのとき20歳でした。あの時の映像をいま見ても自然に涙が溢れてきてしまいます。ただただつらくて、大切な人間を亡くしてしまった悲しみがよみがえってくるからです。

セナを語りだすと止まらなくなってしまうので、この本の内容をご紹介しますね。。

まずはセナの内容ですが、これは主にフジテレビが「セナ死亡」の一報を受け現地スタッフや番組内容の変更など、その時どのような状況をとり報道したか・・・が書かれています。その他はセナファンであれば知っている内容となっています。

では何が、真実か?これはただ一つ事故ときの内容です。

彼の死亡原因は脳の損傷でした。マシンがゆるい高速カーブを通過中、突如コースを外れコンクリートウォ-ルに激突した衝撃も、もちろんありますがアームの一部がヘルメットを貫通し、これが彼に最大のダメージをあたえてしまった為でした・・・。それらの彼の容体がどのようなものだったかは何度か読んだとこがあるので知っていましたが、ほんの一部分ですが新たな事実が書いてありました。

分かってはいたけど、やはりショックなことが書いてありましたね。

そんな呪われた5月1日を知る、ミハエル・シューマッハが今行なわれているサンマリノGPでセナのポール記録を破る通算66度目のポールを獲得しました。セナのすぐ後ろを走っていたあの時のミハエル、通算勝利数でセナと並んだ時、人目をはばからず男泣きしたミハエル。セナ亡き後、F-1トップドライバーに祭り上げられ、人間性までセナを要求され、彼も辛かったと思います。

そんなミハエルが、セナが散った地でセナの記録を破るとことなりましたが、運命と言うかめぐり合わせなのか?個人的にはセナ時代を知る最後のドライバーがミハエル・シューマッハなのかな~?って気がしています。彼がもし引退したとき「失礼な言い方だけど、セナの意思を継いでくれてありがとう。キミが居たからセナを失った後もF-1を見続ける事が出来たんだよ。」こんな言葉をかけてあげたいと勝手ながら(笑)思ってます。これがなぜかと言えば、やはり天性の速さを持っていたのは他おいて、シューマッハただ一人であったからです。セナ亡き後、チームメイトのヒル&ウィリアムズを応援していましたが(このスタンスのF-1の見方は96年、ヒルがチャンピオンを取った時まで続きました。)その一方で敵ながらシューマッハの放つ可能性の大きさにも驚き始めていました。そうは言ってもセナを失ってしまったF-1グランプリ・・・・その後、見ていても面白くもなんともなかったです・・・・。

「F-1観るのやめようかな・・・・・」ボクもそう思いました。同じように応援する対象も、意味もなくしてしまった人も多かったと思います。そして現実にやめてしまった人も。

セナはF-1チャンピオンを目指し、夢を叶え、その事だけに人生を注ぎ、そして散って逝っていってしまいました・・・。セナが愛したF-1グランプリ。

そう・・・・そうだ、彼がそこまで愛していた世界ならば、見続ずけていこうと。そして、そこにはセナのような可能性をもった若きドライバーがいました。憎らしく、キャラクターも人間性も違うけれど、そのドライバーの将来を見たくなったのも事実です。それがミハエルでした。

今宮さんが言ったこの当時の言葉を忘れることはありません。

「セナは死んでしまったけれど、この先もF-1グランプリは続いて行くのです・・・。次のモナコGPからもまた続いていくのです。」と・・・・・

大切な人が愛していたもの、それと同時にその人を奪ってしまったもの・・・。

個人的な意見として、セナはグランプリを・・・そしてドライビングを愛していた・・・・だから、今もF-1を観ています。それに尽きます。

数年前、ブラジルGPでセナの姉、ビビア-ヌが表彰台のプレゼンターとして登場した事がありました。

嬉しかった・・・・・たまらなく嬉しかった。彼女もまた自分と同じような気持ちだったんだと・・・・思えて。

今現在、セナの孫ブルーノ・セナがレースで走っています。。何て強い家族だろうって思いました。

どうしてもセナのことで長く書いちゃいますが(泣)・・・・この本はそれだけではありません。

トヨタ7をテスト中ともに事故死してしまった福沢幸雄、川合 稔。トヨタがその事故原因を全てドライバーのミスとかたずけてしまい、故人の名誉も地位も傷つけてしまった事など、レースを取り巻くその時代の価値観や社会性など鮮明に書かれてます。

70年代から80年代に起こってしまった数々の死亡事故。この本を読んで、何度悲しみ、怒ったことか・・・・・。なぜならこの本は、ただ昔にこういう事故が起こった事を伝えているのではなく、事故が起こってしまった原因や、その後のレース業界の対応のマズサなどを伝えるために書かれているかです。その時原因とされていた報道は、実はこうだったと・・・・。当時の関係者らが、今あらためてその出来事を振り返ってコメントもしています。これらのコメントによってより一層当時の事故や時代背景が見えてきます。この意味は大きいです。

不幸にもこれらの犠牲となってしまったドライバーの皆さん・・・・あなた達が居て輝いていたからレースを好きになり、今レースを見られ、そして楽しむことが出来ています。

レースファンとしてあなた達を忘れることはありません。あなた達が愛したレースをこの先もずっと観て行きます。それがなぜだかは分からないけれど、それが努めだと思ってます。

いつの時代でも形式やルールは変化していくけど、レースに対するレーシング・スピリットは皆同じだと思います。人間が輝いていてこそのモータースポーツであって欲しいと願っています。

合掌。。
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by sid80 | 2006-04-24 02:31 | 日常

卒業シーズン・・・・

マレーシア記が進んでないのもかかわらず、ちょっとここでブレイクタイム・・・。

3月と言えば卒業シーズンですか、今日ボクもある人との「卒業」をしました。。

これを「別れ」と言ってしまえばそれまでだけど、人間心ひとつで生きていける動物なので、この人とは「もう逢うことはないな・・・・」とは思ってませんし、さみしい気持も殺せています。

確かに今までのように逢うことはないですが、お互いに「これからも、よろしくね!!」と言い合って別れることが出来ましたので、まだまだこれからも形は変わるけれども付き合いは続けていけると思える気持ちが残ったので、今あらためて振り返ってみるとこの友人とはそんな人間関係を築きあげたことが出来たんだな~って思えてます。

これからも頑張れ!!困ったとき、悲しいとき、悩んだとき、うれしいとき、いつでも連絡してくれよ(笑)今はネットでもつながってるし♪

とりあえずは今までありがとう。。これからもよろしくね!!
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by sid80 | 2006-03-31 03:06 | 日常

国際免許

今日国際免許をとって来ました。もちろん初めて取ったわけですが、その目的とは実は今月マレーシアにF-1を観に行くからです。18日に日本を発ち、その日の夜に現地着。19日F-1観戦、そしてはたまたその日の内にマレーシアを発ち、20早朝に日本に帰ってきます。文字どうりF-1を観に行くだけの短期ツアーです(笑)

毎年鈴鹿へは観戦しに行ってますが、海外観戦は初体験です。予算の都合もあり(それでも友人のおかげでかなり安くすみました。しかし、航空機ガスチャージ代はかなり高価になってます・・・。)

友人はここ数年海外でF-1を観戦しているので、その声に答え!?今回一緒に行くことに決めました。彼は去年もマレーシアには行っているのでそのあたりの心配はありません。ツアーで行くわけではないので現地での行動をより楽にするため、クルマをレンタルしてもらいました。それで今回国際免許が必要になった訳です。

果たしてマレーシアで自分のドライビング・テクニックが通用するのであろうか・・・・?

って、違いますね!!

明日からいよいよ2006年F-1グランプリも開幕します。決勝は12日ですが、今年はトヨタ&ホンダがかなりマシンのポテンシャルが高いので期待されてます。テストのタイムも悪くないですし、レースシュミレーションもかなりの距離を走っており開幕に向けてよいテストが出来たと思います。それから、純日本チームとして発足したスーパーアグリもクルマが旧車なので苦戦は間逃れませんが、新たな日本代表として頑張ってほしいものです。

マレーシアは開幕に続いての第2戦目。2週連続連続の開催です。ほんとうにあっという間に迎えてしまうと思うのでしっかりと準備は今のうちにしておかないといけないですね~。

心配なのは「灼熱マレーシア」って言われるぐらいですから、天候ですね。ごくたまに特大スコールがくるみたいですが、濡れるのも嫌なら、熱すぎるのも嫌・・・・。まあドライバー達も40℃を超える中、レーシングスーツでドライビングする訳ですから、自分も気合をいれていかないと・・・。いっぱい応援して、目当てのドライバーを後押ししたいと思います。。

観戦はトヨタチームウェアに身を包み、オークリーのグラサンで決める!!トヨタオーナーでもあり、トゥル-リのファンでもあるので、ホンダ優勢のなかパナソニック・トヨタ・レーシングチームを応援してこようと思います。。
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by sid80 | 2006-03-09 19:54 | 日常
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久々にF-1グッズを買いに行って来ました。それは何かと言えばF-1ドライバー御用達のサングラスです。チームウェアとかは何着か持っているので、今回はちょっと違ったものが欲しくてこの商品にしました。

ボクは個人的にここ最近、ヤルノ・トゥルーリが好きで彼のオリジナルモデル(スミス製)もあり、店頭にもあったのですが、この商品は友人などが持っており、いまさら同じものを買ってもつまらないので、他のドライバーモデルから数点をピックアップしました。

店頭でしばしいろいろ見た中から、予算や好みで選んだのがキミ・ライコネンモデル。ライコネンも決して嫌いなドライバーではないので、すんなりと決まりました。マクラ-レンチームのもつクールなイメージも好きですしね。それとボクは大体買い物をしていてもさして悩まずに買ってしまうタイプなので、あとはレンズ&フレームカラーの選択だけでしたね(そうは言いつつ2種類のみですが)

ブラウン系をすんなりと決めてしまえる程のダンディさはまだ持ち合わせてないので・・・・ブラックで決まり!!このサングラスはオークリー製。パッケージから何から全て英語なのでサイトなどでいろいろと調べてみました。このオークリーはラインアップもすごい数があり、自分のモデルを探すのも一苦労・・・。とにかく同じタイプでもカラーの組み合わせが多いこと!!スポーツ選手によく使われていて、日本ではイチローやプロ・ゴルファー宮里 藍など多数使われているみたいです。

で、ライコネンモデルはどこかな・・・・(専用モデルのはずだから、ちょっとは大きく紹介されてるはず)F-1ドライバーモデルを発見。。まずあったのが、チームメイトのフャン・パブロ・モントーヤモデル。よしよし・・・・・じゃ、ライコネンモデルは???

どこを探しても見当たらず・・・・・パッケージを何回もみて商品名を何度も確認・・・・・・・・・・・

で・・・・・あった。。。。あるにはあったが、なんとライコネンモデルと言うものは存在せず、彼が使用していたのは、オークリーラインアップ内の一種類(笑)なんでだよ~チームメイトモデルがあるのにさ!!

時間かかりましたよ・・・・・数多くある商品の中から探す結果となった訳ですから~。。でも彼と一緒のモデルという事実は間違いないわけですから、勝手にそう思い込んだ自分のせいですけども。よくみれば店頭でも「ライコネン使用モデル」って書いてあったっけ、、ほほっ。
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こんな感じのパッケージに入ってました。ハードケースは別売りなので、機会があればまた買いたいと思います。(パッケージが見えるよう全体的に明るくしてあります)
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全体の形はこのように曲線となっており通常のサングラス形状とは違っています。レンズフレームもなく軽いのですが、全体が弾力するので気をつけて使わないといけないかも?しかし、これぞシンプル・イズ・ベストです~。。


これから暖かく熱くなってくる季節に向けて、またクルマのドライブ中にも使用していきたいと思います。使っていけばきっと似合ってくるでしょう(笑)
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by sid80 | 2006-02-28 19:00 | 日常
ここでいつも利用しているマーシーオートを紹介したいと思います。このお店での付き合いは3年ぐらいになるかな?今となってはプライベートでも遊び仲間で、ツーリングなども一緒に行なっています。客にとっての店選びはいろいろあると思います。大手であるとか、品数豊富、安さで一番とか・・・・。その店に何を求めているのかで理由は変わっていくとは思いますが、ボクはこのお店を利用してからとゆうもの、ここ以外のショップを利用する気は起こってきませんし、考えられません。それはマーシーオートの仕事ぶりを見ているからです。自分以外のクルマの件に関しても・・・。

はっきり言ってしまえば、ここのお店は大手でも、品数豊富でもありません。もっと言えば通常商品は割引価格とかはありません。(ごめんね?店長・・・)

ではなぜ利用しているのか?

それは簡単で、しっかりとした人間関係が成立しており、信頼出来るから。いくら大手で有名なお店でも定員の印象が悪いとそれっきり行きたいとは思わないですよね?

その点でマーシーオートは店長はいい印象の人ですし、こちらが期待した以上の仕上がりの仕事をみせてくれます。仕事内容に対するこだわり、考え、プライド・・・ひとえに言えば、お互い人間として波長があったんだと思います。そりゃ確かに言い合いになることもたまにあるけれど(笑)

80もここで買いましたし、エアロ、マフラー、シートなどほとんどの作業はマーシーオートでお願いしています。見た目だけでは分からないいろいろな味付けがあるいんですよ♪♪まだまだこれからたくさんのチューニングをここでして行きたいと思ってます。
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HPもあるので、良かったらここのサイトを覗いてみてください。スープラ専門店ですが、クルマ屋さんでもあるのでいろいろなクルマを扱っています。
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言い忘れていましたが自分のクルマにはマーシーオートステッカーが貼ってあります。左からセリカXX(友人)70スープラ(店長マイカー)80スープラ(自分)マーシーオートステッカー3兄弟です。歴代スープラの進化の具合がわかりますね。
・・・・と言っても70と80はエアロが替えてありますが(笑)
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by sid80 | 2006-02-24 02:48 | 日常

布袋寅奏  「秘密」

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まったく気がつかないところで、布袋寅奏が自身の過去を振り返ったことをつずった本が発売していることを知り、(2月10日発売だったようです)さっそく手に入れたのが今回の本です。

彼は過去にもロンドンで生活をしていた時を描いた本「よい夢を、おやすみ」を出しているので初めての出版ではないのですが、タイトルのように今まで語らなかった過去のことを彼自身の言葉で書き下ろしています。生い立ちから、ボウィー結成、デビューしてから解散に向かうまで
・・・・結婚、離婚、ケガ、父親となった現在。全第6楽章という構成になっています。

彼の生い立ちやボウィー結成などの物語はボウィー時代にも本となって出ているので知っている人も多いと思います。

なにかと他人の過去をどうのこうの語ってしまうのは、ワイドショーレポーターのようで気が引けますが、ボクは彼のファンです。それが全て。いちファンとしての感想を述べたいと思います。

まず彼の生い立ちですが、彼の父親は韓国人でした。これは知ってました。彼の両親が離婚し大きな一軒屋から、小さなアパート暮らしになってしまい、「日本人じゃない」といじめにもあっていた事、詳細が書かれています。

ここで知った新事実・・・・当初は父親が住むために家を出て行かざるおえなかったと思ってましたが、母親が父の保証人となっていたのか、多額の借金を背負ってしまったそうです。その為に、家を売らなければいけなかったのかな?と。ボクは読んでそう思いました。

そしてボウィー解散の秘密。この本で彼は最後まで解散の理由は並べてはいません。「4人全員に聞いても、4人共違う理由じゃないかな?」とだけ述べています。そうかと思えば「俺には俺なりの”絶対に解散しなければいけない理由があった”けれど、その訳は墓の中まで一緒に持っていくつもりだ」とも。しかし・・・・ボクは本当の解散理由を知っています。以外に知っている人は多いのでは???

あえて言うなら、彼がボウィー結成当時一緒に住んでいた彼女が居ました。その彼女と別れてしまったとき、彼は「裏切られた・・・・一生残る傷をおってしまった・・・。」と述べています。これが解散のヒントと言えば、ヒント・・・・・です。この言葉をみて「やっぱり・・・・・」と思いました。

そうは言ってもボウィーで過ごした仲間との時間、ミュ-ジシャンとしての確立など青春時代のように振り返っています。解散の舞台となった渋谷公会堂のライブ映像をしばらく見れなかった事・・・一人で見れずメンバーの一人、松井常松と一緒に見て最後、氷室京介が涙を流しながら解散発表をしたのを見たら涙が溢れて止まらなかった事・・・売れなかった時代アルバイトやナンパに明け暮れたことや、事務所との対立、ファンとのギャップなどなど、、最後のライブとなった「LAST GIGS」に実は、韓国から父親が見に来ていたこと・・・・彼はずっと父親を憎んでいました。それは貿易関係の仕事の関係もあったようですが、家にもほとんどおらず、しかも韓国にも別の家庭を作っていたから・・・「俺達は捨てられたんだ。母親にもこんな目におわせやがって・・・・。」ずっとそう思い続ずけ、妹にも「絶対に会うな」と言っていたそうです。

結局、彼は一度も会うことなく、ツアー先で父親の死を知ったこと。彼の父親は布袋自身をずっと影で見続ずけ、自慢の息子と回りに話をしていたそうです。「誰にだって人生で間違いは犯す、かならず一度は・・・・」布袋自身は、今となっては自身の経験や考えから、このたった一度の間違いを必要以上に責め、その事だけにこだわりを持ちすぎていたんじゃないのか・・・?「父親、かわいそうだったかな。寂しかったのかな。」と述べています。

ソロとなり分かってはいたけど、一人となってステージに立ったときの寂しさ・・・ツアー中断の原因が、実は山下久美子と口論となり、壁を思いっきり叩いて骨折してしまった為のことなど、いろいろ書かれています。

機会があればぜひ手にとって読んでみてください♪
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by sid80 | 2006-02-14 01:17 | 日常