愛しのスープラとの日々や、つたない日常日記。


by sid80
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28

ああ・・懐かしのグループCカー/歴代国産グループCカー

え~、いろいろとネットでグループCを検索したところ、いろいろな画像が発見出来ましたので、懐かしさとパッションが湧きあがった気持ちと友に、年式別に国産グループCカーの進化の記録を紹介したいと思います。トヨタ車中心となってしまいますがご勘弁を。。。
メカニカルな事を入れてしまうとかなりマニアックな世界となってしまうので、わかりやすく外装ボディ関係を中心にいきたいと思います。
e0047547_1444437.jpg
↑トヨタがルマン参戦を開始したのは85年。その時のマシンがこのトヨタ・トムス85CLです。トムスでの参戦意義がまだ多く見られる時代で、基本的には84Cと変わりは無いのですが、この85CLはルマン用にリアウイング部分がルマンスペシャルとしてモディファイされていますし、カラーリングもこのルマンだけに見られたものでした。初出場&初完走12位で、それはそれは熱狂したものです♪国内でもポルシェ相手に初優勝。。いま観ても抜群にカッコいいマシンです。
e0047547_1452640.jpg
↑86年ルマン出場時のトヨタトムス86Cです。このレイトンハウスのスポンサードは直前に決まったらしく、急遽塗り替えられたそうです。これは知らなかった・・。85Cと比べてもフルモデルチェンジと言ってもよく この基本デザインは88Cまで続いて行きます。
しかし、エンジン自体は4T-G~3S-Gと替わりはしたものの2.1リッター4気筒ターボという枠は変更がなく  この頃「何でトヨタはポルシェやジャガーみたいな大排気量エンジンを載せないんだろう・・・・。」と子供ながらに(4気筒は小さいと言うのは理解出来てましたので(笑)思ってました。
その理由は「トヨタ」と名乗りながら、実質はトムス&童夢がマシン開発を限られた制限の中で行いグループC参戦に踏み切っていたからなんです。これでは必要だと思っているエンジンだって開発できっこないわけですよね・・・。
e0047547_146133.jpg
この86年までは童夢もチームを率いて参戦していました。これ以降童夢は開発チームとして影でトヨタグループCに関わっていく事となります。期待された86年ルマンでしたが、魅せ場も無く、トムス共々全滅・・・・。世界との距離は近ずいたと思った矢先、その差は相像以上にありました。しかし、それとは逆に日本国内では「ルマン24時間で成績を残す。」という熱望は一日でも早く手に入れたい時代へと移っていきます。。
e0047547_1424370.jpg
e0047547_143473.jpg
↑続いてトヨタ・トムス87Cor88Cです。数字が表しているのが年式(?)だと思って下さい。童夢製作&設計マシンです。87年に入りやっとトヨタ本社が重い腰を上げました。グループCプランにトヨタ自動車としての本格参戦開始です。ポルシェ962などに比べ、排気量も小さく見た目の通りひと回り小さなクラスに見えますが、よく健闘していたと思います。国内でもポルシェ相手にガチンコで優勝を記録し始めました。しかしそれは単発にすぎず、ポルシェの様なシャシー設計&エンジンなどを製作するにはやはりメーカーの力がないと厳しかったわけですよね。でもでも、なかなかオリジナルティ溢れてカッコよいです。ライト部のスモークなんてイカシテいます。。エンジンは、変わらず2,1リッター直列4気筒ターボで約680馬力。この排気量&直4でこの馬力は凄いターボパワーです。燃費もへったくれもありません(笑)
e0047547_1525026.jpg
トヨタがやっと本気でグループCに取り込み(画像はありませんが)TRDも加入し88C-Vの登場となります。この辺りから国産グループCカーがポルシェを凌ぐ性能を発揮してきます。88C-Vは88年後半からの登場となり、すぐに89年に向けてのマシン製作が始まります。それがこの89C-Vです。この年から、ル・マンに出場するには世界選手権全戦にエントリーしなくてはいけなくなり、本当の意味で国産メーカーが世界進出をしていかなくてはならない時代となって行きます。まさにグループC全盛期!!89C-Vは88C-Vの空力バランスを見直し、その為デザインとしては他のマシンとの共通点が多くはなりましたが一発の速さは世界と肩を並べるところまでは来ました。しかし・・・・ガス欠で止まってしまうことが多くありましたね(笑)
レース終盤、順位を落としていくことが多かったトヨタ89C-V・・・・・・惜しい所までは行くのですが・・・。シャシーはフルカーボンモノコックとなり、エンジンは待望のトヨタ直系3,2リッターV8となり約800馬力オーバー。
e0047547_1562479.jpg
↑ジャガーなどの影響か、この時期みな後輪にはスパッツを付けているマシンが多く見られましたね。国内はミノルタ、海外はタカキューカラーで走っていました。
e0047547_20435466.jpg
↑↓そしてこれらがトヨタ90C-Vです。年を重ねる事に、どんどん普通化していきます(笑)90C-Vは好みじゃなかったなぁ・・・。今みてもポルシェ962にそっくりだ。しかしこの頃には、すでにポルシェは相手ではなくなっており、同国のニッサンやジャガー、メルセデスらと凌ぎを削って行きます。エンジンは3,6リッターとなり、モノコックも一新。90年ル・マンでは久々の6位入賞。
e0047547_20441641.jpg
89年同様、ミノルタが日本チーム(国内戦)を中心とした組織で、タカキューが世界選手権を戦うヨーロッパチームでの構成となっています。
e0047547_20442977.jpg
↑これは国内を戦っていたデンソーカラーのサード・チームです。ル・マンだけにエントリー。この当時のル・マン参戦はどこのメーカーも凄い状態となっており、年式落ちも含め4台、5台の大量エントリーとなってました。それだけ”ル・マンに勝つ”ということに各メーカーが執りつかれていたとも言えます。
e0047547_1736410.jpg
↑珍しいスポンサーカラーではなく懐かしのトムスカラーに塗られた90C-V。トヨタワークスとしてのルマン参戦はこの90年が最後となり、ターボエンジンを載せたモデルもこの90C-Vが最後となりました。
トヨタはTS020の開発に力を注ぎ世界選手権を戦う事を決定し、その為国内の全日本選手権では90C-Vをベースにし、91・92・93C-Vとプライベーター中心に開発が続いていきました。
e0047547_17362496.jpg
↑シンプル・イズ・ベストとはよく言われますが、ノウハウが蓄積され、無駄を殺ぎ落とした分トヨタグループCカーは年々特徴が薄れてしまいましたね。

e0047547_20444675.jpg
ここからはニッサンの紹介です。このマシンは88年型ニッサンR88Cです。ニッサンは国産メーカーとしては一番遅い86年からル・マンに参戦していました。トヨタの童夢に対して、ニッサンはシャシーコンストラクラーをマーチ社に依頼。このマシンもエンジンはニッサン製ですが、シャシーはマーチ製となっています。この頃のニッサングループCは性能的にもトヨタの後を追うことが多く、苦労していました。グループCを戦うニッサン(ニスモと言ってもいいかも)の勉強の日々が続いていきます・・・・。エンジンは、3リッターV8で、約750馬力。
e0047547_23591059.jpg
↑R88Cのリアテール。いやはや、全くのシンプルなデザインです。
e0047547_0535344.jpg
↑ポルシェはおろか、トヨタに対しても苦戦していたニッサンが89年に入って、凄まじい情熱を燃やしてきました。シャシーをローラ製に変更。エンジンも新設計となり、ポテンシャルが驚くほど上がりました。先ほども書きましたが、89年よりル・マン参戦には世界選手権にエントリーせねばならなかった為、ニッサンの世界戦略マシン、ニッサンR89Cがこのマシンです。全てにおいて過去のニッサングループCカーとは比べ物にならないほど、設計コンセプトや細かな部分の仕上がり、エンジンパワーなど「ニッサン恐るべき!!」と印象を持ったマシンでした。この年はトヨタも88C-Vを国内で走らせましたが、このR89Cはトヨタとの壮絶な戦いの中で、一気にトヨタに追いつき、追い越せと怖い存在となってきます。それは世界選手権でも同じ事が言え、トヨタよりも良い成績を収めていきます。ライバルながら、このマシンもカッコよかったんですよね(笑)エンジンは新設計3,5リッターとなり、約800馬力オーバー。
e0047547_2045029.jpg
↑このマシンは翌90年のル・マンに参戦した国内チームのチーム・ル・マンです。現在もGT選手権で走ってますよね。マシンは上記と同じR89Cで、ライト部など細かな部分が変更されていますが、基本的には変わっていないと思います。
e0047547_150734.jpg
↑↓翌90年に登場した、ニッサンR90CKです。ちなみにこのYHPカラーはニッサン・ヨーロッパチームで世界選手権を戦かっていた集団ですね。見た目のようにR89Cをベースにした発展型となっています。1990年ル・マン・・・ニッサンは凄いパフォーマンスを魅せつけます。予選では、ポールポジションを獲得(この時点では日本車初)2番手とのタイム差はなんと、6秒!!たかが予選とは言え、この差は強烈でした。。。ペースカーもニッサン・フェアレディZとなって決勝前までは1990年ル・マンはニッサンを主役にして始まっていきます。予選ブーストで1000馬力オーバーを記録!!80年後半からグループCカーは、まさにモンスター化していきます・・・。
e0047547_1573585.jpg
↑こちらのJECSカラーは、アメリカン選手権IMSAを戦っていたアメリカン・チームからの参戦車。
e0047547_20452893.jpg
↑そしてこちらはマシンも違う、日本チームです。このマシンは国内を戦っていたニッサンR90CPです。このマシンはR90CKとは全く違うコンセプトで製作されており、ローラ製シャシーは変わりませんが、より一層ニスモ自社製マシンとなり、オリジナルティー溢れるデザインとなっています。熟成度はR90CKの方がありましたが、マシンポテンシャル的には、けっして負けてはいませんでした。このマシンは後年、デイトナ24時間レースで、日本人ドライバートリオにより優勝を果たしています。国内でもトヨタを寄せ付けず、3年連続チャンピオンとなりました。まさにニッサングループCカー史上、もっとも成功したマシンと言えます。
e0047547_1503270.jpg
↑↓それぞれの、R90CKヨーロッパ、アメリカン、R90CPのサイドビューの比較です。なぜこれをしたこと言うと、この年ニッサンはル・マンにおいてこの3チームからエントリーしていました(プラス先程のティノラスカラーのR89Cも)が、問題発生・・・・ヨーロッパチームとアメリカンチームが対立関係になってしまいまして、お互いにやりたい放題の状態になり、24時間を戦う戦略なども協力体制も取れるはずもなく、言いあい、けなし合いのチーム状態となってしまうのです(推測含む・・・・)決勝では、各マシントラブルが多発し、アメリカンチームのトラブル原因の一つ、燃料系のトラブルだったのですが、調べてみるとそこには出来るはずもない切り傷が発見され、それがリタイヤ原因となってしまったのです。それには”意図的な”ものを感じさせるものがありました・・・・。
e0047547_2473731.jpg
↑これがアメリカンチームのR90CKサイドビュー。上のヨーロッパチーム車と比べるとリアウイング形状が違います。タイヤもグッドイヤーです。色々各セッション、マシンセッティングを試していたのか?ハタマタ好き勝手に自分らでやっていたのか?今となっては謎です(笑)
e0047547_1514215.jpg
↑そしてこれがR90CPのサイドビュー。R90CKとの違いは一目瞭然です。フロントからリアまで綺麗なラインを描いています。空力的にも一番良さそうですよね。このマシンは、90年以降もR91CP、92CPと続き、国内で無敵の強さを発揮していきます。外観やコンセプトはほぼ変わりなく、基本設計の高さがうかがい知れます。
e0047547_17371620.jpg
↑こうやって周りに人が立つとグループCカーの低重心化がよく分かると思います。ボクも富士スピードウェイに初めてグループCを観に行った時、雨で土砂降りだったにも関わらず(つまりドライ時はもっと速い)グランドストレートを凄まじいスピードで走っていくマシンに興奮されっぱなし。
「このひとら、絶対おかしい!」それは雨の中でさえ異次元のグループCのポテンシャルとそれを操るドライバーが信じられませんでした・・・。いまだに覚えてます。
e0047547_17372822.jpg
さきほども紹介したR90CKアメリカンチーム仕様のより大きなリアウイング。それを差し引いてもこの当時どれくらいのダウンフォース量を発生さてていたんでしょうか?見えにくいですが、ディフューザーも今となってはかなり巨大です。
e0047547_2354518.jpg
↑こちらは森脇さん率いるノバ・エンジニアリングのニッサンR91CKです。フロムエーのカラーリングから分かるとおり、元々は962Cを走らせていたチームです。
さすがに国産グループCカーが国内レースで選手権争いを展開を見せる時代ともなると、962Cで戦う意味は無くなり、トヨタもニッサンもプライベーターにマシンをリリースするようになります。このノバ以外にもニッサンを走らせたチームもあり、対してトヨタも962Cを走らせていたトラストにマシンを供給するようになりました。90年以降、やっと国産グループCがポルシェを完全に凌駕する時代となっていったわけです。
e0047547_235417100.jpg
↑ニッサンワークスもR90CKを走らせていたのは90年まで。このR91CKと呼ばれたマシンは実質型落ちではありましたが、ノバ独自のノウハウが入りオリジナルとは違ったアイデアが至る所に入っています。そのアイデアの多くは新時代NAグループCカーの見せた影響が一番大きかったのかも知れません。
e0047547_20454861.jpg
↑ここからはマツダ車の紹介です。まずは86年のマツダ757からです。マツダは日本メーカーの中でいち早くル・マン参戦を果たし、その歴史も一番長いです。マツダはトヨタ&ニッサン(共に最高峰クラスC1)とはクラスが違い、IMSA-GTPクラスでの参戦が続きます。これはロータリーエンジン使用の場合、最低重量が50Kg軽くなるためにで、このクラスでの選択となりました。この757はボディーだけはC1クラスの外装をし、87年には当時ル・マン日本車最高位となる7位入賞を果たして、88年までル・マンには参戦を続けました。エンジンは3ローターで、450馬力を発生。
e0047547_403886.jpg
↑757のシャシー構成です。車体自体は非常にコンパクトです。757を最後に、マツダグループCカーはボデイカウルもコンパクトになって行きます。
e0047547_411491.jpg
↑こちらは88年登場の767です。このマシンも90年まで熟成され、767Bとなり続いていきます。ボデイカウルが小さくなり、一見コンパクトカーに見えますが、757よりもエンジン、タイヤ、ブレーキとボデイサイズも大きくなっています。3ローターから4ロ-ターとなり、550馬力を発生。進化版767Bは可変吸気を導入し、630馬力までアップ。88年デイトナ24時間では5位入賞。ル・マンにおいても、3台全て完走し、再び7位に。
e0047547_20465171.jpg
↑↓こちらが90年デビューの787です。お馴染みのレナウン・カラーですね。このマシンの特徴は何と言っても、リアに付いている他とは違った形状のスパッツです。ブレーキ冷却用のダクトもしっかり付いていますね。この202号車は、この年からル・マンに出場したガショー/ハーバート/バイドラー組です。モノコックはカーボン製となり、4ローターも進化し、700馬力まで発生。しかし、信頼性に乏しくル・マンでも苦戦。この90年にはグループC規定が変更され、ロータリーでは91年のル・マンには出れない・・・・となり、マツダはこのル・マン惨敗と共に打ちのめされた状態となってしましました・・・しかし、ロータリーでのル・マン出場は一年延ばされ、91年のスーパー・サクセス・ストーリーへと続いていくわけです!!
e0047547_2125888.jpg
↑こちらは一見787に見えますが日本人コンビが操った767Bです。ボデイ関係やレイアウトなどを787化で変装。マツダは全くのブランニュー・マシンを設計することはなく、基本設計を年々モディファイし続け、戦闘力を上げる方法をとってきました。なのでこの様な旧シャシーに新ボディって事も可能なわけですね。。
e0047547_415211.jpg
そして最後に紹介するに相応しいこのマシンがマツダ最後のグループCと言っても良い787Bです。くどい様ですが、91年ル・マン24時間レースにおいて日本車で唯一勝利を収めたマシンです。Bが示す通り787からの発展モデルですが、徹底的にテストを繰り返し、限界まで燃費性能を追求。ドライバーらにも燃費走行をマスターさせ、シュミレーションを繰り返し、まさにロータリー最後の挑戦は”花道を飾る”となったわけです。このマシンでメルセデス、ジャガーに立ち向かい、見事日本人の長年の夢を実現した歴史に残る名車です。この歴史的事実がある限り、マツダは市販車においてロータリーエンジンを作り続けなければいけないと勝手に思っています(笑)こんな意味でボクも「RX-7買ってもいいかも?」と頭によぎるときがあります。好きですしね・・・クーペだし。GT-Rよりは好きです(笑)
e0047547_20471315.jpg
e0047547_0311080.jpg
↑栄光のチェッカーを目指し、まさに手にする瞬間です。日本車同士のランデブー走行・・・・これも、また日本人の夢でした・・・・。マツダが与えてくれました。
e0047547_19464894.jpg
まとまりが良すぎてあまり感じないかもしれませんが、こうやって改めて見ると非常にオリジナルティあるグループCカー。。まさにマツダ技術の結晶です。他のどれとも違います。
e0047547_194720100.jpg
e0047547_19473688.jpg
夢を叶えた男達の仕事場。耐久レースゆえ、ストレスを感じさせないシンプルレイアウトとは言え、ここで優に300kmオーバーのレースをしていたのですから、まさに想像を絶する世界です。
[PR]
by sid80 | 2006-11-25 20:48 | レース