愛しのスープラとの日々や、つたない日常日記。


by sid80
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

ああ・・・・懐かしのグループCカー

e0047547_197932.jpg
ちょっと前になりますが、ボクにとって何より好きだったグループCカーを特集した雑誌を手に入れました。これは「レーシング オン」という雑誌で特集されて記事などをまとめた一冊(ちらほらと見かけていたのでその時も買ってはいましたが・・・)特典DVDなど見逃していた記事などがあったのですぐに新らたに購入しました。過去にもグループCや現代のスポーツプロトを専門にした雑誌も出てはいるのですが、中々売っている書店が近くになく、買ったり、買えなかったりと・・・。

まさにこの「グループC」は自分にとっての青春そのものです。ル・マン24時間レースをはじめとする耐久レースがメインのカテゴリーではありますが、何よりグループCカーがほこるシルエットにとてつもないカッコよさを感じたんですよね・・・・。
e0047547_028265.jpg

e0047547_16393692.jpg
今でも一番好きなレーシングカーはこのポルシェ956であり962Cです。ボクのポルシェに対する企業イメージはこれらのクルマらからきています。ワークスとして参戦し、いち早くグループCレギュレーションに対応したマシン開発に成功し、その後プライベータなどに惜しげもなく販売し、自社製品の高性能さをアピールしつつ、またそのカテゴリーを支える意思など、まさにこの当時グループCは「ポルシェの敵はポルシェだけ」でした。何て言ったってプライベータでもポルシェを購入さえすれば、勝つことが可能であったわけですから。
このロスマンズカラーも、この時代のワークスの象徴となっていました。
e0047547_1633930.jpg
↑今現在でもル・マンなどで活躍するチーム、ヨーストです。
ニューマンカラーが懐かしいね~。。彼らも元はポルシェプライベーターの一つでポルシェ軍団の争いの渦中、いち早く排気量アップやスペシャルチップの導入などプライベーター勢のトップにのし上がります。
しかも84・85年にはワークスを差し置いてル・マン制覇を成し遂げています。これらの戦績が認められ、ワークス撤退後もポルシェ本社からのサポートを受け、最後までジャガーやメルセデスなどのライバルらと戦い抜きました。
e0047547_2124722.jpg
↑撤退後88年ル・マンのみに再登場したワークスの最終兵器型962Cです。ロスマンズからシェル&ダンロップカラーを身にまとい、この凝ったカラーリングもワークスらしさを感じさせました。
当時962Cとしては最大排気量となる3.2リッター化、エンジンマネージメント類なども最新鋭技術が投入され、予選仕様で約1000馬力を、本番仕様でもそれまでと比べて50馬力以上は出ていたそうで、ほぼ熟成の域を迎えていたと思われていた962Cをワークスは飛躍的に進化させました。結果的にはこのハイテク化故のささいなトラブルの為、優勝を逃す事となってしまいましたが、文字通り最強最速の962Cです。
e0047547_0251980.jpg
↑ポルシェプライベーター勢初期に見られたフィッツパトリック956です。何と言ってもこのスコール・バンディットカラーがカッコよかった!今見ても好きなカラーリングの一つです。
数多くいたプライベーター勢でしたが、色とりどりのスポンサーからチーム名ではなくスポンサーネームで呼ばれていたのも特徴の一つでした。
e0047547_0262887.jpg
↑日本でも御馴染みのケンウッドがスポンサードとなっていたクレマーポルシェ962Cです。
グループC以前から有力ポルシェプライベーターの一つで、歴史は長いチームでした。クレマーも自チームで962Cモディファイを早くから取り込み始め、リアウイング処理などオリジナルな形式をしていました。
このカラーリングは88年仕様で高橋国光&岡田秀樹らがル・マンで乗り込み当時の日本人最高記録となる9位でフィニッシュ。
国産勢をよそにポルシェにさえ乗ればトップ10入りも果たせた複雑な時代でした(笑)
e0047547_199432.jpg
↑思わず「懐かしい~」と言ってしまうレイトンハウスカラーに塗られたクレマーポルシェ962CK6です。上記と同じクレマーのポルシェで、年々進化を進めたモディファイの結果、ここまで962Cを変化させました。逆に言えば開発の止まった962Cで戦い抜く為には、このままでは勝負にはならない・・・とクレマーが捻り出した答えがこの962Cでもあった訳です。
e0047547_19145314.jpg
e0047547_19102177.jpg

e0047547_19181527.jpg
e0047547_19164175.jpg
↑海外で行われたプライベーターポルシェの改良は国内にもすぐ伝染し、このフロムエーポルシェに見られるように、それらを参考にしたり国内サーキットに対応したオリジナルパーツの数々、あるいは改良シャシーそのものを購入したりと海外とは別に、年々進化する国産グループCカーに対しての戦いを日本でも行っていました。
e0047547_2205377.jpg
↑こちらも国内ポルシェプライベーターシュパンポルシェです。元ポルシェワークスドライバー出身のバン・シュパンですね。
ロードカーとして市販化されたシュパンポルシェをご存知の方もいるのでは?そのシュパンです(笑)バブル真っ只中の時代で、このアートスポーツなど国内外を問わず多くの日本企業がスポンサーとなっていたのもポルシェグループCの歴史でもあります。
e0047547_19181170.jpg
シュパンシェフ独自の味付けがされた962C。方向性は似ていても、細かな部分にオリジナルティーが感じられます。
e0047547_19182434.jpg

e0047547_2213578.jpg
↑シュパンポルシェ一番の特徴はこのカーボンモノコック。と言ってもアルミモノコックにカーボンを貼り付けたオリジナルですが・・。販売もしていたようです。
プライベーター達も他メーカーのグループCに対抗するため色々苦肉の策を練っていたようですね。

国内でもグループCレースは賑わっていたので、ヨーストやクレマーなど海外チームが全日本にエントリーする事も多く見られましたし、逆にWSPCでは海外チーム枠を借りて国内チームがエントリーするなどプライベーター間のやり取りも、両方観ている自分には面白いものがありました。
e0047547_1727169.jpg
↑チューニングメーカーとして有名なトラストが走らせていたイセキポルシェ956です。
昔はトラストもバンバンにレースをしていたものです。寂しいね・・・・それを考えると、今は。
しかし、なによりもこのイセキ・トラクターを全面に出したこのカラーリングがいい!先も後にも他では見られなかったものです。ポルシェマークとのアンバランスさがなんとも♪
e0047547_17255550.jpg
↑こちらは80年代によく見られたキャノンがスポンサードしたキャノンポルシェ956です。
ウイリアムズホンダF-1に見られたように、キャノンもこの時代モータースポーツのスポンサーを多くしていました。リチャードロイドレーシングエントリーのこのポルシェでしたが、文句無くこのカラーリングがカッコよかったです。シンプルではありますがデザイナーセンスが光るカラーリングをしています。彼らもいち早くポルシェシャシーの不足した部分に目をつけ、オリジナルの改良を行い好成績に結び付けていました。
e0047547_172657.jpg
↑そのリチャードロイドが行った改良の答えがこのリチャードロイド962GTIです。これを当時初めて見た時、「なに?このクルマ?どこの?」としばらく962Cだとは気が付きませんでした。
こうやって並べてみるとそうでもないのですが、962Cと知ったときにはそれはビックリしたものです。確か最初はリキモリカラーだったと記憶していますが・・・。モノコックから改良が始まり見た目にも一番大きな変化が見られたマシンでした。手直しを行ったデザイナーは後のマツダ787Bで有名なナイジェル・ストラウド。う~ん思わず納得。
結構プライベーターらの間でも話題になった962Cで、さきほどのトラストが後に購入し国内でも見られたマシンでした。
e0047547_197939.jpg
↑プライベーター最後を飾るのは、始めに紹介したヨーストレーシングです。この写真はIMSA仕様となっていますが、グループCでも見られたヨースト962C最終型とほぼ一緒ではあります。
e0047547_1973287.jpg

彼らはポルシェAGからのサポートを受けていたので逆の意味で他のプライベーターらと違い、962Cオリジナルベースでの改良を最後まで続けました。
ヨーストにもさまざまな改善プランはあったと思いますが、ポルシェAGが962Cの大幅な改良を嫌ったとも言えます。それでも勝ってしまうあたりはやはり目には見えない力があったのでしょうね。
e0047547_1974758.jpg

これらプライベートに販売された962Cは、名門チームを誕生させる手助けともなり、先ほどのヨーストを筆頭に、クレーマー、リチャードロイド、ブルン、国内ではトラスト、シュパン、ノバなどその後の耐久選手権でも活躍するチームを生む土台の役割を果したとも言えたグループCにおけるポルシェでもありました。
e0047547_165332.jpg
↑エンジンは市販ポルシェでもお馴染みの水平対向の6気筒ターボエンジンです。この写真は主に956で見られた935/82型と言われるエンジンで、ヘッドのみ空冷式でクーリングファンまで付いたエンジンです。
e0047547_166160.jpg
↑こちらが962Cとなってからの935/83型です。全水冷式となり徐々に排気量アップなどを伴い、ライバルらの後追いエンジンに対抗しました。
956と比べインタークーラーの容量アップや配管などの変更がされています。ウエストゲートもよく見えてますね。

これらエンジンの搭載位置や冷却系のレイアウト、サスマウント方式、空力工学など後を追った全てのメーカーが参考にしたポルシェ工学の真骨頂、それが956&962Cでした。。。

そんなポルシェもやがてワークスが撤退し、ジャガー&メルセデスの時代がやってきます。日本メーカーはプライベートポルシェとやっと張り合えるレベル。やっとの思いでポルシェに追いついた時には、すでにポルシェ社自体はいませんでした。プライベーターが開発の止まったマシンをモデファイし戦っている状態で、その一方で莫大な開発予算をかけているにも関わらずトヨタ、ニッサンはトップレベルで張り合えるマシン開発ができないでいました。まさにこの時の苦悩は市販車とまったく同じことが言えました。追えば追うほど先を行くで(ノウハウが無かったと言ってしまえばそれまでですが)いつまでたってもポルシェや外国スポーツカーは高値の花・・・・・それがそのままこの時代の国産グループCにも言えた訳です。
e0047547_0272721.jpg
e0047547_0275372.jpg
↑巨大ポルシェ王国に挑み、最初にポルシェを打ち破ったメーカーはTWR率いるジャガーでした。
この写真は主にIMSAで活動したTWRが手がける前の初期モデルジャガーXJR-5です。7リッターNA/V型12気筒エンジンを搭載し、ロングノーズ&テールなど、グループC初期に見られたスタイルをしています。
このグリーン色のカラーリングが鮮やかでした。
e0047547_10384182.jpg
↑XJR-5ではポルシェのパフォーマンスにはまだまだ及ばず、85年中期から登場したのがこのジャガーXJR-6です。TWRの登場ですね。設計コンセプトも全く変わり、無駄な部分を素地落としたこのマシンで、驚くほど短時間にポルシェ軍団に割って入って行きます。ターボを選択せず、大きく重たいエンジンにも関わらず、大排気量でパワーをリカバー。デザイナー、トニー・サウスゲートが贈るTWR流のコンセプトが見えたマシンとなりました。86年、選手権争いでもワークスポルシェに対し、あと一歩まで迫ったものの、ル・マン制覇、選手権制覇はなりませんでした。
e0047547_029351.jpg
e0047547_1729231.jpg
しかし、いよいよジャガーがポルシェ王国を打ち破る夢は現実のものとなろうとしている事は、多くの人々が感じていました。さすがに962Cにも古さが見え始めるようになります。(ポルシェは頑として新型グループCは開発しませんでした)そして87年。ジャガーは世界選手権制覇をこのジャガーXJR-9で果します。しかもある意味圧勝でした・・・。
グループCにおける役割を果したと決断したポルシェは87年限りで撤退。チャンピオンは奪われたもののル・マンにはキッチリ勝利を収め、花道を飾りました。
しかーし、、、このストーリーには続きがあって88年ル・マンに限りワークスポルシェ復活。ル・マン制覇に燃えるジャガーとガチンコ勝負となった88年ル・マンは壮絶なレースとなりました。結果を言えばジャガー念願のル・マン制覇!!となりましたが、24時間レースにも関わらず同一ラップでワークスポルシェが2位で続き、その戦いはまさにメーカーの戦争と感じられた戦いでした。
この戦いをみてボクは「文字通りポルシェの時代は終ってしまったんだな・・・。」と感じずにはいられませんでした。
e0047547_0302279.jpg
↑ポルシェを破りグループCを席巻し始めたジャガーですがその余韻に浸る暇もなく、88年にはザウバー率いるメルセデスの攻撃を受けることとなります。F-1でお馴染みだったあのピーター・ザウバーのチームです。彼らもポルシェを凌ぐグループCを早々に開発し、88年はジャガーVSメルセデスとの戦いへと移っていきます。上記の写真はジャガーXJR-12で、ネーミングが示す通りジャガーのグループCは基本設計は変わらず、WSPCを引っ張っていきます。初期設計の高さがうかがい知れますよね。
リアホイール部のスパッツもジャガーに続いて他メーカーがよく取り入れた部分です。
e0047547_1841347.jpg
ジャガーXJR-12のエンジンです。これらのV12気筒は市販車エンジンがベースとなっており、オリジナルは白いエキゾーストパイプでしたが、この大きくて重いエンジンでよく戦ったっていたと思います。しかし、ジャガーはNAと平行して、ターボエンジンの開発に着手しますが、なぜかこちらは全くの苦戦でした。ドラブルの連続でその間にメルセデスにチャンピオンの座を持って行かれます。ジャガーの復活劇は91年に凄まじい形で表わされて行く事になっていきます・・・・。
e0047547_03218.jpg
↑このマシンがXJR-9に続いて、先ほどのターボエンジン搭載モデルジャガーXJR-11です。
メルセデスらの攻勢に対抗する為、NAを諦め新開発のターボエンジン(3.6リッターV型6気筒)を載せたマシンですが、シャシー自体は見ての通りXJR9系の発展型。空力的にシャープな外観となりましたが、ターボ化による熱や冷却系に無理が集ったのか、エンジントラブルの連続、またシャーシ自体にも問題があったのかもしれません。
結局このXJR-12は失敗作となり、お蔵入り。ル・マンなどではこのマシンでは戦えるはずもなく、前NAモデルを発展させたXJR-12、13となっての戦いとなってしまいました。

いろいろ書いてきましたが、この時代の国産メーカーが世界に打って出て行った(特にル・マン出場する為への全戦出場が義務化された89年からは)これらのスタンスや数々のグループCカー。それらがたまらなく好きで、熱狂し、むしろ言うならグループCだけが好きではなくこの時代が好きだったのではないかと今は思えます。この頃のグループCに乗っていたドライバー皆が今言います。

「正直、怖かった。今思うととんでもないレースをしていたと思う。けどね・・・・今じゃ考えられないこれらのモンスターを操っていたプライドが今はある」

そうですよね・・・・当時ドッカンターボ特性の1500馬力!!ノンパワステ!!ル・マンで言えばこのモンスターをユノディーエールストレート400kmオーバー、それで24時間も走ってた時代。。

結局は、F-1に数多くのメーカーを呼び込むため、CカーはNA化となり、プライベートチームは参戦できるマシンが無くなり、メーカーだけの戦いとなって、しかもその割には人気がなく、メーカーも撤退を決定。。こうしてグループCの幕は閉じます。

しかし、この今は無いからこそこのグループCカー。それはまさに自分が過ごした青春時代でもあり、たまには振り返ってみるのも悪くないんじゃないでしょうか?この本のように、そこで新らたに知る事実もあるわけですから、止めれませんよね。
[PR]
by sid80 | 2006-11-16 19:07 | レース